ナイアガラ、ニューヨーク、ボストン、

          ワシントン観光ツアー

2007年4月17日-24日  8日間

 ナイアガラには25年ぐらい前に一度、また、ニューヨーク、ボストン、ワシントンには数十回以上行っていますが、観光という目的ではまだ行ったことがありません。
 これらの都市にもう一度行ってみたいと思ったのと、個人旅行ではかなり高くなってしまうので、今回はクラブツーリズムのツアーにしました。
 全泊スイートルームに泊まれることと、一度乗ってみたいと思っていたアムトラックの企画が気に入りました。参加人員は遂行可能人数の15名ぎりぎりで、ご夫婦が5組、他の5名は中年以上の女性でした。
 ツアーに参加していつも思うのですが、いろいろなご夫婦が居て、観察しているととても面白く、二人の性格がよくもこれほど一致しているものかと感心する場合が多くあります。


大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
  再生速度は右下の三つの点を押すと早くしたり遅くしたりできます。


 旅行ルートは成田より、カナダトロントに飛び、そこからナイアガラまでパスで行き、また、トロントに戻り、そこからニューヨークに飛び、ボストンはアムトラックを使用し、日帰り旅行で、その後、ワシントンまでアムトラックで行き、ワシントンから、トロント経由で成田まででした。下にそのルートを示します。


 内容とリンク先を下に示します。

1日目 ナイアガラ到着、ライトアップされた滝を見学
2日目 ナイアガラ観光
3日目 午前、飛行機でニューヨークへ移動、午後、ニューヨーク市内見学
4日目 ニューヨーク、ボストン、アムトラックで往復
5日目 午前中メトロポリタン美術館見学、午後アムトラックでボストンへ、着後市内見学
6日目 終日ワシントン市内見学
7日目 帰国
8日目 帰国


       

1日目 ナイアガラ到着、ライトアップされた滝を見学

 部屋からも、そして、バスルームからもナイアガラの滝全体が見える素敵な部屋でした。
 ガイドさんに連れられ、夜、ライトアップされた滝を見学しました。ホテルから10分ぐらい歩きます。

 25年前に来ているのですが、全くと言ってよいほど記憶に残っていません。ただし、その時は、車で通過した程度の見学でしたのが、今回はゆっくりと過ごせました。
 ナイアガラの川は、中州によって大きな滝と少し小さな滝に分かれて流れ落ちています。上は大きな滝で、左は少し小さな滝です。
 大きな滝はカナダ滝と呼ばれ、小さな滝はアメリカ滝と呼ばれています。
 いずれの滝もカナダ川からだとよく見えいるため、観光は一般にカナダからになります。


 小さな滝の方は、ライトアップされていて、その色が数分おきにいろいろと変わります。



ナイアガラの滝の概要

 昔、学校で、アメリカとカナダの間には大きな湖、五大湖があると勉強したことがあります。
 ナイアガラはアメリカとカナダにまたがっています。
 エリー湖の水面標高は174mで、オンタリオ湖は75mであるため、二つの湖の標高差は100mもあります。その二つの湖は狭い川で結ばれ、途中にあるナイアガラの滝の落差は最大53mもあります。
 国境は川の中央にありますが、滝の近くの中洲はアメリカの属しており、大きな滝はそのほとんどがカナダに属し、小さな滝は完全にアメリカに属しています。
 カナダ滝は落差53m、幅670m、滝壺の深さ56mで
 アメリカ滝は落差21mから34m、幅260mです。


             

2日目 ナイアガラ観光

 午前中、バスにてアメリカ滝、カナダ滝、発電所などを見学、昼食はナイアガラ全体が見渡せるヒルトンホテルのレストランでした。
 ナイアガラの緯度は札幌と同じですが、たくさんの氷がまだ流れており、虹の乙女号はまだ出ておりませんでした。滝にも氷が残っていました。



カナダ滝の観光 

 まず、カナダ滝の観光です。本来なら滝の下を潜るボートに乗る予定でしたが、まだ、流氷が流れており危険のため、ボートは中止になっていました。川岸には氷の岩がへばり付いていました。
 エレベーターで滝の中腹まで下り、そこから滝の下の見学になりました。さすがすごい流量です。滝の上から見ると、その壮大さが実感できます。



レインボーブリッジ近くから

 遠く下流にカナダとアメリカを結ぶレインボーブリッジがあります。そこからなら、カナダ滝を正面から見ることが出来ます。
 バスに乗って移動しました。
 カナダ滝が正面に見えて来ました。
 ものすごい水しぶきが上がっていました。
 左側にアメリカ滝が見えます。



ナイアガラウォールプール

 さらに下流のナイアガラウォールプールと呼ばれる所にバスで移動しました。この近くには公園、ケーブルカー、発電所などがあります。
 川は一見3つに分かれているように見えますが、左側の川はウォールプールと呼ばれる水だまりになっています。
 ケーブルカーはカナダ側同士の丘を結んでいます。



ケーブルカー

 ナイアガラ川は右側から右奥へと流れています。左側は水たまり(プール)になっています。
 こちらの丘はアメリカになります。


 大きな公園がありました。



発電所

 対岸にアメリカの発電所が見え、こちら側にはカナダの発電所がありました。滝の上流からこの貯水池まで人口の水路によって水を引き込み、この地の落差によって発電します。水量はアメリカとカナダで相談し決めています。アメリカの発電量は2.4GW,カナダ側の発電量は2GWです。
 なお、黒部第四発電所の発電量は0.3GWですからその10倍以上になります。


 アメリカ側の発電所です。ナイアガラの水は、昼間はできるだけ滝に流し、夜は出来るだけダムに水を導くそうですが、全体の流量を滝とアメリカのダムとカナダのダムに三等分しているそうです。
 滝の水量を少なくすることによって、滝が削られ後退してゆく悪影響を少なくする利点もあるそうです。
 ナイアガラ川には幾つもの橋が架けられています。
 数十年前に来た時は、夜で良く分からずカーナビ便りで来たのですが、その時、かなり狭くて小さい橋を渡ったためか、パスポートの検査がありませんでした。気が付くと、もうカナダに居ることが分かりました。
 帰るときはしっかりと検査がありました。



 昼食は滝を見下ろせる高層レストランでした。
 食事をしながら、ご一緒した人といろいろ話をしていましたら、70歳ぐらいの女性の方ですが、「私、後4回ほど海外旅行が出来るんです」と言われました。不思議に思って、「なぜ4回なのですか」と聞くと、「4回分の貯金があるのよ」と言っておりました。
 旅に魅せられ、人生、最後の貯金まで旅に使う気持には感心致しました。
 また、同じぐらいの年の女性の方が、嫁の悪口を散々言っていました。こちらには閉口しました。



午後自由行動

 午後は各々自由行動で、オプショナルツアーもありましたが、私たちは足に任せて、歩き回りました。
 ホテルから滝の上流に歩いてゆき、滝やその周辺を見学しました。
 川の周辺には歩道橋などが作られていました。


 午前中もここをバスで通ったのですが、車窓からのみの見学でした。今度はゆっくりと見ることが出来ました。
 途中、近道をしようと、山の中を歩きました。
 
 難破船が見えます。1918年、平底船がここで難破したそうです。乗組員は全員救助されましたが、仮に難破しなかったら、ナイアガラの滝から流れ落ちてしまい、全員死亡したことは確実です。
 難破して助かった珍しいケースです。



Niagara Parks Floral Showhouse

 立派な花専用の温室があったので入ってみました。一応、有料でした。
 まだ寒いのに、たくさんの素晴らしい花が咲いていました。


 

 午前中は曇り模様で、虹を見られませんでしたが、午後は快晴になり、何時までも消えない虹を堪能することが出来ました。ただし、水しぶきが強いので、濡れる覚悟が必要でした。


 

 レインボーブリッジを渡り、アメリカとカナダの国境を渡りました。パスポートが必要でした。

         

3日目 午前、飛行機でニューヨークへ移動、
          午後、ニューヨーク市内見学

   
 市内観光はテロで崩壊したグランドゼロ、国連ビル、サウスストリート・シーポート、ロックフェラーセンター、セントラルパークなどで、ホテルはニューヨーク市の対岸のニュージャー州側でした。



中華街
 
 昼食は中華街でした。中華街の見学はありませんでした。


       
 自由の女神、グランドゼロ等を見学しました。自由の女神は遠くから見るだけでした。



サウスストリート・シーポート
 
 マンハッタンを囲んで、船が運行されています。



国連本部

 以前、内部ツアーに参加して見学したことがありますが、今回は外観のみでした。



セントラルパーク

 市民の憩いの場所です。昼間は結構人で賑わいます。夜は極めて危険な場所だと、以前聞いたことがあります。



ロックフェラーセンター

 1989年、日本のバブルの絶頂期に、三菱地所が2,200億円で買収し、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、アメリカでのジャパンバッシングの要因の一つになりました。
 その後、日本のバブルが崩壊し、運営会社は破産してしまい、手放すことになりました。



ハドソン川

 対岸のニュージャーシーまで渡し船で約10分で行くことが出来ます。



エンパイア・ステート・ビル

 夕方、ホテルに到着、解散後、エンパイアーステートビルに登ろうと、家内と二人だけで、再度マンハッタンへ行ってみました。ホテルからマンハッタンまでは人専用の小型船がホテルのすぐそばの船着場か出ており、10分ほどでマンハッタンに行けます。陸上で行くよりも渋滞が無く快適だそうで、利用客は多いそうです。
 ただ、エンパイアーステートビルの登るのには、切符の購入、手荷物検査などがあり、ものすごく混んでいて、エレベーターに乗るまで約1時間20分ぐらいかかりました。ただただ、辛抱のみですが、日本での美術館も最近はものすごく混むことがあり、こんなものでしょう。並んだときはまだ明るかったのですが、展望台に到着したときはもう、真っ暗でした。夜景が綺麗でした。展望台には窓ガラスがなく、直接外気に触れながら見渡せるのには感激です。
 その後、マンハッタンを散策したあと、船着き場に戻ろうとしたおですが、タクシーを拾うのに苦労しました。


              

4日目 ニューヨーク、ボストン、アムトラックで往復

 ボストンでは、市街地、ハーバード大学構内、ボストン美術館、松坂投手の入団で話題になっているフェンウエイパーク野球場などを見学しました。ボストンの緯度は室蘭と同じで、新緑はまだでした。あと1,2週過ぎると、いっせいに芽を吹き出すそうです。
 ボストンはアメリカ最古の都市で、建国の舞台でもあります。アメリカで最初の議事堂がここに作られました。
 1776年、ここで独立宣言文が読み上げられています。独立後、南北戦争が起こりましたが、北軍の中心部隊はこのボストンに置かれました。
 南北戦争が終結した11年後、1876年に市民の手によって誕生したのがボストン美術館です。
 ボストンには昔、仕事の関係でかなりの回数来ていますが、今回のツアーでは日本美術のコレクションで定評のあるボストン美術館を楽しみました。たぶん、三回目の美術館訪問です。



 アムトラックでこれからボストン往復です。
 ボストンは港町です。
 海の見えるとレストランで昼食でした。



フェンウエイパーク野球場
 
 タクシーにも RED SOXのコマーシャルを載せていました。


 ボストンは歴史のある町です。石畳の道路がまだ残されていました。


ボストン美術館 
 
 この美術館には、古今東西の美が集められており、その数は50万点に及びます。市民による寄贈や基金によってあつめられたものばかりです。
 独立戦争からちょうど100年後の1876年に美術館が誕生しました。



クロード・モネ 1840-1926 印象派を代表するフランスの画家
 
ラ・ジャポネーズ

1875年~76年

 妻、カミーユが日本の着物をまとい、
舞のポーズを取っています。
睡蓮

1907年

 ボストン美術館には38点あり、モネの収集では、
アメリカ最大と言われています。
睡蓮

1907年



エル・グレコ 1541-1614 ギリシャ出身。

 エル・グレコの名は、スペイン来訪前に
イタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を
意味するグレコにスペイン語の
男性定冠詞エルがついた通称。


聖カタリナ

1610-14年




フランソワ・ブーシェ 
 
Francois Boucher 1703-1770

 フランスの画家、ロココを代表する画家であり、上流社会の肖像画や神話画などを描いた。

Halt at the Spring

  1765





パンニーニ
 1691-1765 

イタリア出身の画家,建築家

近代ローマの絵画ギャラリー

1757年

いろいろな名所が描かれています。




カナレット Canaletto

1697-1768  イタリアの風景画家

ベニス、サンマルコのバチーニ

"Bacino di San Marco,Venice"

1738



ジャン=フランソワ・ミレー 1814-1875 フランスの画家
 

馬鈴薯植え

1861年
羊飼いの娘

 1870-73年頃



レンブラント・ファン・レイン
  
 1606-166 オランダの画家。バロック期を代表する画家の1人。大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意とした。

 「Portrait of a Man Wearing a BlackHat」

 「Portrait of a Woman Wearing a Gold Chain」

 

 ヨハネス・エリソン師の妻マリア・ボッケノール



ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。
  
ブージヴァルのダンス

1882年~83年

陶器の花瓶に入れた花束




メアリー・カサット Mary Casst 

 1844-1920 アメリカの画家、版画家。
成人後、フランスで暮らし、ドガは友人だった

Tea Time

 1880年



ギュスターヴ・カイユボット (1848-1894)
 
フランスの画家で、印象派絵画の収集家。
印象派の画家たちの経済的支援者であった。


スタンドの上の果物

1882年



エドガー・ドガ 1834-1917 

フランスの印象派の画家、彫刻家

14歳の小さな踊り子



フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 オランダ出身でポスト印象派の画家。
 

郵便配達人ジョゼフ・ルーラン


1888年

オーヴェールの家々

Field with Ploughman and Mill

1889

ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女

1889年




アンリ・ファンタン=ラトゥール

 1836-1904 フランスの画家、リトグラフの版画家


卓上の花と果物

 (1865年)





ポール・ゴーギャン 1848-1903 

フランスのポスト印象派の画家

女性と白馬 

1903年 


中央上の白い十字架があるところに
自分が眠る墓が描かれています。
 ゴーギャンは 1903年マルキーズ諸島で亡くなります。




ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

 1775-1851 

イギリスのロマン主義の画家

死人と死に瀕した人を船外に投げ込む奴隷船

1840年



ギュスターヴ・ドレ 1832-1883 

フランスの画家、ロマン主義

野の花と蝶

のどかな景色です






日本美術コレクション


 日本以外では世界最大の質を誇ります。日本にあれば国宝級の絵画や仏像がたくさん展示されています。
 美術館には日本庭園も造られています。


ハーバード大学

 ボストンを代表する大学で、1636年に創立されたアメリカ最古の大学です。6名の合衆国大統領、30名以上のノーベル賞受賞者を出しています。
 建てられた像の足を触ると、もう一度来られるそうです。
 もう一つの大学、MIT、すなわちマサチューセッツ工科大学も世界的に知られています。この大学には過去何回か来たことがありますが、ハーバード大学は初めてでした。

 ボストン観光後、再びアムトラックで戻ってきました。ホテルは昨日と同じです。



        
5日目 午前中メトロポリタン美術館見学、
     
     午後アムトラックでワシントンへ、着後市内見学

 ニューヨークの緯度は青森と同じですが、ちょうど桜が咲いていました。


 メトロポリタン美術館

 200万点以上のコレクションを所有するアメリカ最大の美術館です。美の百科事典とも言われています。世界三大美術館の一つです。
 再び、ボートに乗りホテルからマンハッタンへ向かいました。


 玄関を入ると広いロビーがあります。展示は1階、2階、地下にあります。
 17部門に分かれています。我々はまず2階のエジプト館からの見学です。

デンドゥール神殿

紀元前15年ごろ

 巨大なガラス張りの部屋の中に門の高さ8m、本殿までの奥行25m、ナイル川のほとりに建っていた古代エジプトの遺跡の神殿です。

 メトロポリタン美術館、エジプト部門のシンボルとなっています。
 かってエジプトが世界に誇る遺産でした。
 彼女は何のために美術館に来たのでしょうか。面白そうなので、写真に収めました。


ルイス・C・ティファニー  1848-1933 アメリカの宝飾デザイナー

秋の風景

1923年~24年
噴水と庭の風景

Garden Landscape and Fountain

1915年 


 たくさんある部屋を順に回ってみました。次の部屋はハドソンリバー派の部屋です。
 ハドソンリバー派とはニューヨークからカナダに向けて北上するハドソン川を舞台に描いた19世紀のアメリカ画家たちです。
ビーアスタット

ロッキー山脈 ランダーズ・ピーク’


1863
 フレデリック・エドウィン・チャーチ

ハドソン・リバー派の画家

アンデスの山奥

1859年

ジェローム・トンプソン (1814-1886)

 アメリカの風景画家

マンスフィールド山へのパーティー
サンフォード・ロビンソン・ギフォード

1823-1880 アメリカの画家

Kauterskill Clove, in the Catskills

1862年
フレデリック・エドウィン・チャーチ

 1826 - 1900

アンデスのハート

1859年
エマヌエル・ロイツェ

デラウェア川を渡るワシントン


1851年

 アメリカ独立戦争中の1776年12月25日に
ジョージ・ワシントンが大陸軍を率いて
デラウェア川を渡ったことを記念して
描かれています。
ドイツ系アメリカ人の画家。



ヨハネス・フェルメール 1632-1675 オランダの画家。バロック期を代表する画家の1人

眠る女

1656年~57年

 一瞬の微睡の中で彼女は何を夢見て
いるのでしょうか

水差しを持つ女


1662年~65年

 光の芸術を言われています。

窓辺でリュートを弾く女


1662年~65年

 窓辺で音合わせをしています。
 窓の外をしっかりと見ています。

若い女の肖像


1668年~69年

 かすかに微笑んでいます。
 謎見えた微笑はモナリザの微笑み
にも称えられます。

信仰の寓意


1673年~75年

 地球儀に足を載せ宙を見つめる女性。
不思議なポーズをしています。
 神への信仰そのものを表しているそう
です。
 後ろには磔のキリストが描かれています。



ベンジャミン・アルトマンコレクション

レンブラント・ファン・レイン

 1606-166 オランダの画家。
バロック期を代表する画家の1人。
大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を
得意とした。

自画像

1660年

 56歳の時、自分自身を描いています。



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール Georges de La Tour 1593-1652
 フランスの画家。フランス王ルイ13世の国王付画家

占師

La Diseuse de bonne aventure

1630年
マグダラのマリアの懺悔

1638年~43年

 鏡に写しだされたろうそくの光を使って
改心する心の内側を劇的に描き出しています。



ドミニク・アングル

 1780-1867 フランスの画家
19世紀前半台頭してきたロマン主義絵画に対抗し、
新古典主義を継承した

ブロイ公妃

1851~53年

 アングルは公妃の豪華なドレスの豊な素材感、
真珠のような肌、そして、気高い姿を
実に見事に表現しています。
 公妃は35歳で結核のため若くして亡くなりました。
嘆き悲しんだ夫は、
公妃のまるで生きている様子に耐えられず、
この絵にずっと覆いを掛けていたそうです。

ディエゴ・ベラスケス

 1599-1660

 バロック期のスペインの画家。
17世紀を代表する巨匠と言われる

ファン・デ・パレーハ

1648年
フィリップ・ド・シャンパーニュ

 1602-1674
 バロック期のフランス派の画家。
ブリュッセル生まれ。

受胎告知


1644年
ジョシュア・レイノルズ

(Sir Joshua Reynolds1723−1792)
ロココ期のイギリスの画家

The Honorable Henry Fane with His Guardians,
Indigo Jones and Charles Blair


1761–66

ジョシュア・レイノルズは、
18世紀半ばのイギリス・ロココ期の
人気肖像画家で、イギリスのアカデミズムを確立し、
画壇の頂点に上り詰めた画家です。



フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh 1853-1890 オランダ出身でポスト印象派の画家。

1足の靴

Shoes

1888年

パリ滞在中は、暗い色調で「靴」を描いているが、アルルの黄色い家で描かれた作品は、赤い色調の床に配置されて明るい。

マダムローリンとその子供

1888 年



糸杉のある麦畑


1889年


ルーラン夫人

1889年

 親しく付き合っていた郵便配達人の妻です
 日本の浮世絵から得た大胆な構図と色使い。ゴッホのアルル時代の代表作です。

Olive Trees

1889年

 ゴッホが描く「木」と言えば糸杉が有名ですが、
オリーブシリーズもたくさん描いています。
オリーブ摘み

Woman Picking Olives

1889年
Roses

1890年
花瓶の菊と野の花々

Bouquet of Floweres in a Vase

1890年



ポール・ゴーギャン (ポール・ゴーガン) Paul Gauguin 1848-1903 フランス  後期印象派・象徴主義

急須と果物のある静物

1896年

ゴーギャン、シエスタ(昼寝)

Gauguin: Siesta

1891年

 ポール・ゴーギャンは印象派絵画に出会った後、株式仲買人としての輝かしいキャリアと家族を捨て、画家を志すことを決意します。ゴーギャンは原始的な題材と、極端に単純化されたフォルム、明るい色平面に象徴される現代美術のポスト印象派様式へと発展することとなりました。
 ゴーギャンの作品の平坦なフォルム、力強い色彩、原始美術の持つ荒々しさはタヒチ滞在中に編み出された画法です。
Two Women Aka Mother And Daughte

1902年
タヒチ女性の入浴

Tahitian Women Bathing




ピエール=オーギュスト・ルノワール 
1841-1919 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。


Mini in the Garden ( Nimi Lopez)

1876年

シャンパンティエ夫人と子供たち


1878年
 
 ルノアールのパトロンであった出版社社長の
夫人と子供たちを描いた肖像画の傑作です。
浜辺にて

1883年
横たわる裸婦

1883年
カトゥルスメンデスの子供たち

1888年

浜辺の人物

1890年

沐浴する若い女


1892年

 やわらかな筆のタッチと独特な明るい
色彩表現によってルノワール独特の
女性美を表しています。
リーマンコレクション

ピアノに向かう二人の少女

1892年



エドゥアール・マネ

 1832-1883 フランスの画家。
印象派に属するが独自の境地を開拓した。

ベルビューでのマダムマネ

Madame Mane at Bellevue

1880年



クロード・モネ Claude Monet, French, 1840-1926 印象派を代表するフランスの画家



アルジャントゥイユ近くのひなげし畑

Poppy Fields near Argenteuil

1875年



庭のベンチのカミーユ・モネ

1873
Mrs. Theodore Earl Butler 

 1887年
小道

1914-17年
睡蓮

1919年



ラモン・カザス・イ・カルボー

スペイン、カタルーニャの画家
1866年- 1932年

Ramon Casas

1897年



ポール・セザンヌ 
1839-1906 フランスの画家。元は印象派画家であったが、独自の絵画様式を探求し、彼独特の絵を生み出しました。

林檎

 20世紀絵画の先杖となったリンゴの絵です
 リンゴでパリをあっと言わせたいと語ったセザンヌ、
しかし、生前、パリの画壇で評価されることは
ありませんでした。

ひびの入った壁の家

Das Haus mit geborstenen Wanden

1894年

シャドーファン近辺の木と家

Trees and Houses Near the Jas de Bouffan

1885-86年




エドガー・ドガ 1834-1917 フランスの印象派の画家、彫刻家

ダンス教室

1874年
バレリーナ

1880年



パブロ・ピカソ
1881-1973 スペインで生まれフランスで制作活動をした画家。キュビスムの創始者として知られる。

泣く女

1937年

泣く女シリーズの中でも有名な一枚です。

ブルスカルとフルーツとピッチャー

1939年



フランシスコ・デ・ゴヤ Goya, Francisco  1746-1828 スペイン最大の画家。宮廷画家でもある。



コンデサデアルタミラと彼女の娘マリア・アグスティーナ

Condesa de Altamira and
her Daughter Maria Agustina

1787-88
バルコニーのマハたち

1808-1812年頃





エル・グレコ EL Greco

1541-1614
 ギリシャ出身
エル・グレコの名は、スペイン来訪前に
イタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を
意味するグレコにスペイン語の
男性定冠詞エルがついた。


7 Different ways to pray the Stations of the Cross

1580年




ヘラルト・ダヴィト
 Gerard David  

1455-1523 
オランダ生まれ。
初期フランドル派の画家。
初期オランダ・ルネサンス期に活躍した。

受胎告知

Archangel Gabriel; The Virgin Annunciate

1505年

フランチェスコ・フランチャ Francesco Francia

  1450-1517
 イタリア出身の画家

聖フランシスとジェロームと聖母子

Madonna and Child
with Saints Francis and Jerome

1512–15年

 ジョヴァンニ・ディ・パオロ
 Giovanni di Paolo

 1403-1482 
イタリアのシエナ派の画家。

Le Couronnement de la Vierge

1455年
アンドレ・ドラン

 1880-1954
20世紀のフランスの画家

テムズ川
バルテュス Balthus

1908-2001

フランスの画家
ピカソはバルテュスを
「二十世紀最後の巨匠」と称えている。

鏡の前のヌード

Nude Before a Mirror

1955年



尾形光琳

1658-1716
 江戸時代の画家、工芸家

八橋図

日本 江戸時代
長沢芦雪(ながさわ ろせつ)

1754-1799

 江戸時代の絵師 


ニューヨークからワシントンへ

 再びアムトラックで、アメリカの首都ワシントンへ向かいました。



       
6日目 終日ワシントン市内見学

 ワシントンには過去数10回以上訪れており、土地勘もかなりあり、昔を懐かしく思い出しました。
 緯度は仙台とだいたい同じですが、桜祭りは4月初めだそうで、花は全く残っておりませんでした。
 午前、リンカーン記念 ホワイトハウス、国会議事堂などを見学、午後は、スミソニアン博物館の見学でした。
 国会議事堂から西に渡って4kmほど続く公園地帯はモールと呼ばれ、たくさんの博物館などが続きます。
 これら、スミソニアン博物館での見学時間はわずか3時間程度しかなく、各自、自分の好きな所を見学しましたが、今回は美術館を中心に廻りました。
 昔感激した幾つもの名画にもう一度接することが出来ました。
 アメリカがすごいと思うのはこれらの博物館、美術館が全て無料ということです。




アーリントン墓地

 広い墓地の一角を見学しました。



リンカーン記念碑

 普通の桜はすでに終わっていましたが、八重桜は今が満開でした。
 まずは、リンカーン記念碑の見学からです。



ホワイトハウス

 言わずと知れたホワイトハウスです。屋上には警備円が見えます。


ワシントン記念塔

 高さ、169.3mの石造建築物で、合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンを記念して建てられています。
 展望台があり、エレベーターで昇ることが出来るそうです。


国会議事堂



ナショナルギャラリー(国立絵画館)

 その質と量は世界屈指と言われています。開館したのは1941年でした
 絵画館は巨大な大理石で出来ており、その巨大さでも世界屈指といわれています。

 ワシントンの国立美術館の入り口で頂いたパンフレットです。




レオナルド・ダ・ヴィンチ

 1452-1519 
イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像

1474年~78年頃

 アメリカで見られる唯一のダヴィンチの作品です。
 20代のダヴィンチが友人の婚礼の祝いに書いたものです。しかしその結婚は幸せのものではありませんでした。陰りのある表情は画家が未来を予見していたかのようです。




ジェームズ・マクニール・ホイッスラー

 1834-1903
 19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。
浮世絵をはじめとする日本美術の影響を強く受けた。

白のシンフォニー第一番、白の少女

1862年




サンドロ・ボッティチェッリ

 1445-1510 
イタリア生まれのルネッサンス期の画家

ジュリアーノ・デ・メディチの肖像
Giuliano de' Medici
1478/1480





ヘンドリック・ホルツィウス

 1558-1617
 オランダの画家、版画家

The Fall of Man

人類の堕落




ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
Georges de La Tour

1593-1652
フランスの画家。
フランス王ルイ13世の国王付画家

悔い改めるマグダラのマリア




エル・グレコ 1541-1614 ギリシャ出身。 

聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子

1597-1599年
ラオコーン(Laocoonte)

1610-1614年頃




ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

 1477-1576
 盛期ルネサンスのイタリア人画家。

鏡の前のビーナス

"Venus with a Mirror"
 ジョヴァンニ・ベリーニ Giovanni Bellini

 1430-1516 
イタリアルネッサンス期の画家。
ヴェネツィア派で15世紀同派最大の巨匠

1490年
ベルナルディーノ・ルイーニ

 1482-1532
 イタリアの画家、
ダ・ヴィンチの影響を深く受ける


ヴィーナス

1530年




ラファエロ・サンティ 1483-1520 盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家

ニコライナーッカウパーの聖母子

1508年
アルバの聖母

1510年頃

 聖母子と聖ヨハネが三角形に巧みに配置されています。
聖母の表情は、我が子の将来を予言して
悲しみに満ちています。
人間的な温かみをたたえた聖母子像で知られる
ラファエロの代表作です。

ラファエロのカルトン

 1515-1516




ジョバンニ・パオロ・パンニーニ
 Panini Panini

  1691-1765 
イタリア出身の画家、建築家

ローマ、パンテオン神殿の内部

Interior of the Pantheon, Rome」

カナレット  Canaletto 

1697-1768
イタリア  18世紀景観画家

聖マルコ広場
ベルナルド・ベッロット

1721-1780
 イタリアの風景画家

ケーニッヒシュタイン要塞
1756 - 1758
アルベルト・カイプ

 1620-1691
 オランダ
 17世紀のオランダ絵画でもっとも主要な画家の一人
馬に乗る紳士と淑女
1655




アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864-1901
 フランスの画家

ロートレックは、幼くして足のけがのため、
成長が止まり、身長は短いままでした。
そして37歳の若さで世を去りました。


「シルぺリック」のボレロを踊るマルセル・ランデ-ル
1895 - 1896





エドガー・ドガ Edgar Degas

1834-1917,

 フランスの印象派の画家、彫刻家

四人のダンサー
Four Dancers

1899




ルドルフ・バックホイヤセン

ロッキークレストでの遭難船

Ships in Distress of a Rocky Crest

1667年




カミーユ・ピサロ Camille Pissarro

 1830-1903

フランスの印象派画家

カルーゼル広場、パリ

1900年




ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir 
 1841-1919 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。


ディアナ(ギリシア神話のアルテミス)

"Diana”

1867年

  ルノワールが26歳の時に描いた宗教画・神話画です。
ダンサー
The Dancer
1874年
フープを持つ少女

1875
じょうろを持つ少女

A Girl with a Watering Can

1876
髪を編む若い女性

1876


ポール・セザンヌ  Paul Cezanne, French, 1839-1906 
 フランスの画家。元は印象派画家であったが、独自の絵画様式を探求し、彼独特の絵を生み出した。

 

新聞を読む父
The Artist's Father, Reading "L'Événement"
1866年

ハウス オブ ピエール・ラクロア

House of Pere Lacroix

1873
ロココ調の花瓶の花

Flowers in a Rococo Vase
1876

Montagne Sainte-Victoire, from near Gardanne.

1887
Mont Sainte-Victoire and Hamlet Near Gardanne

1886-1890


ハーレクイン

Harlequin

1888-90

ペパーミントボトル

The Peppermint Bottle

1893-95
 牛乳入れと果物のある静物

 1900年頃 
Château Noir

1900/1904
マトリース ポール・セザンヌの肖像

Portrait des Vallier Der Matrose Paul-Cezanne

1905

リンゴと桃の静物

Still Life with Apples and Peaches

1905
セーヌ川、シャトウのタグボート

1906




パブロ・ピカソ 1881 - 1973 スペインで生まれフランスで制作活動をした画家。キュビスムの創始者として知られる。


食いしん坊  Le Gourmet
1901年

ピカソ、青の時代の作品です。

旅芸人の家族

1905年

純粋に造形的な表現を介して
現出する別世界のようです。
二人の若者
Two Youths
1906年
静物とジャングラー
Juggler with Still Life
1905年
静物
Still Life
1918年
ピカソ婦人
Madame Picasso
1923年
恋人
The Lovers
1923 年




アルベール・グレーズ Albert Gleizes 

1881-1953
フランスの画家 

サッカープレーヤー

1912-1913年

 グレースはピュトーグループに属していました。
ピュトーグループとはピカソの拠点としていた
モンマルトルに対抗して、
ピュトーという場所に集まった集団のことです。

 ピカソやブラックが形を解体するにつれて
色彩がモノクロームに近づいていったのに対し、
彼らはより色彩を豊かに描こうとしました。




アンリ・マチス Henri Matisse

1869-1954
フランスの画家
20世紀を代表する芸術家の一人

理髪
La Coiffure

1901年

 マチスは若いころは柔らかい色調で描き、
27歳にしてサロンに出品し、
5点もの作品が入賞し
、画家として順調な滑り出しをし、
ほぼ、順調な人生を送りました。
しかし、一時期は印象主義的絵を発表し
ひどく非難を受けます。
その後、独自の画風を確立して行きました。





ジョージ・ロムニー

1734-1802
 
英国の画家。主として肖像画を多数描いた

ウィロビー嬢の肖像
Portraint of Miss Willoughby

 1783





ポール・ゴーギャン

 1848-1903
 フランスのポスト印象派の画家

悪魔の言葉
"Parau na te Varua ino"

1892年




クロード・モネ Claude Monet, 1840-1926 印象派を代表するフランスの画家

散歩、日傘の女

1875年

 見上げるような視線で描かれているのは息子のヤン、そして妻カミユ
 吹き渡る風、明るい陽射し、ぬくもりのある日差し、どこまでも心地よさに溢れたモネの傑作です。

ヴェトゥイユの画家の庭


1880年

 青い空と、咲き乱れるひまわり。陽光の降り注ぐ庭はモネ自身によって作られたものです。

ルーアン大聖堂


1894
アルジャントゥイユ橋
The Bridge at Argenteuil
1874年

セーヌ川の川岸、ヴェトゥイユ

1880年

エルサレム アーティチョークの花

「Jerusalem Artichoke Flowers」

1880年

日本橋

The Japanese Footbridge
1899年




エドゥアール・マネ 1832-1883 フランスの画家。印象派に属するが独自の境地を開拓した。

鉄道 サン・ラザール駅

1873年

 一人がこちらを見て、もう一人が背を向けている斬新な構図です。
 線路の中の蒸気が、列車の過ぎ去ったことを暗示しています。
 当時、鉄道は始まったばかりの新しい技術でした。

ジャヤンヌ・ド・マルシー

A criar Printemps, Jeanne de Marsy

1881年





フィンセント・ファン・ゴッホ

 1853-1890
 オランダ出身でポスト印象派の画家。

薔薇

1890年




カミーユ・ピサロ Jacob Camille Pissarro 1830-1903 フランスの印象派画家 

イタリア人大通り、朝、陽光

1987


チャーリングクロス橋

Charing Cross Bridge, London

1890

庭師 - キャベツを持った年老いた農民

The Gardener - Old Peasant with Cabbage

893 - 1895




ヨハネス・フェルメール 1632-1675 オランダの画家。バロック期を代表する画家の1人。

 この部屋は空いてはいましたが、すごく暗くて写真は良く撮れませんでした。



               

7日目 帰国


 朝早くワシントンからトロント経由で成田に向かいました。エアーカナダ便のトロント成田間は空席が幾つもあり、一人で2席を使用でき、楽に過ごせました。

ツアーの感想


 アメリカは、最も思い出の多い国で、ニューヨークだけでも過去数十回、延べ2ヶ月以上居たと思います。ただ、この10年は、仕事関係の会社がニューヨークから脱出してしまい、行く機会がめっきりと減りました。
 今回は過去の思い出を再確認する旅でもありました。いずれの町も、以前とほとんど変わらぬ面影を残していました。特に美術館は、昔とほとんど同じでした。ロンドンやパリもそうですが、それらの都市の思いでは美術館や博物館、そして街並みだと思います。
 過去の思い出を確かめる町がまだまだ他にたくさんあり、再びこれらの町に来ることがあるかどうか分かりませんが、たぶん、これが最後だろうという思いを背負いながらの旅でもありました。時間は短かったものの、ほぼ満足した旅でもありました。


 

付録

 今回の美術館めぐりで、何枚かのフェルメールの絵に出会いました。インターネットで画像検索をし、フェルメールの絵を集めてみました。
 フェルメールはオランダの地方都市デルフトで生まれ育ちました。当時、多くの芸術家はパリを目指しデルフトを離れて行きましたが、フェルメールはデルフトにとどまり、制作活動を続けました。フェルメールは11人の子供を抱える大家族で、かつ、妻の実家に間借りして暮らしていました。自らの実家の借金も抱えており、地元を離れる決断が出来なかったとも言われています。
 フェルメールはここで日常の生活をたくさん描いています。
 なお、上に示した絵画館での写真の説明は、主にNHK世界美術館紀行、日曜美術館などを参考にして書き入れています。


メトロポリタン美術館

眠る女

1656年~57年
窓辺で水差しを飲む女

1662年~65年
リュートを調弦する女

1662年~65年
少女

1968年~69年
フェルメール

信仰の寓意

1673年~75年

 地球儀に足を載せ宙を見つめる女性。
不思議なポーズをしています。
 神への信仰そのものを表しているそう
です。
 後ろには磔のキリストが描かれています。





ワシントン National Gallary of Art

天秤を持つ女

1662年~65年

 窓から差し込む光と、天秤が静止する一瞬の姿を描いています。
手紙を書く女

1665年~66年
フルートを持つ女性

 この絵はフェルメールの作品と思われると書かれていました。
赤い帽子の女

 まるでスナップショットのようです。
 豊かな色彩と光の変化、フェルメールの卓越したまなざしを感じさせます。

 ただし、この絵はフェルメールの作品と思われると書かれていました。



その他

マリアとマルタの家のキリスト

1654年~55年

エディンバラ、ナショナル・ギャラリー
ダイアナとニンフたち

1655年~56年

ハーグ、マウリッツハイス美術館
取り持ち女

1656年

ドレスデン、絵画館
窓辺で手紙を読む女

1658年~59年

ドレスデン、絵画館

部屋の一隅
士官と笑う女

1658年~59年

ニューヨーク、フリックコレクション

窓辺の語らい
牛乳を注ぐ女

1658年~59年

アムステルダム国立美術館
小路

1658年~59年

アムステルダム国立美術館


紳士とワインを飲む女

1658年~59年

ベルリン、国立美術館
デルフトの眺望

1659年~60年

ハーグ、マウリッツハイス美術館
二人の紳士と女

1660年~61年

ブラウンシュヴァイク、アントン・ウルリッヒ公美術館
稽古の中断

1660年~61年

ニューヨーク、フリックコレクション
音楽の稽古

1662年頃

バッキンガム、宮殿王室コレクション
青衣の女

1662年~65年

アムステルダム国立美術館
真珠の首飾り

1662年~65年

ベルリン、国立美術館
真珠の首飾りの少女

1665年~66年

ハーグ、マウリッツハイス美術館
合奏

1665年~66年

ボストン、イザベラ・スチュアート・
ガードナー美術館
絵画芸術

1666年~67年

ウィーン、美術史美術館
女と召使

1667年~68年

ニューヨーク、フリック・コレクション
天文学者

1668年

パリ、ルーブル美術館
地理学者

1669年

フランクフルト、シュテーデル美術館
レースを編む女

1669年~70年

パリ、ルーブル美術館
恋文

1669年~71年

アムステルダム、国立美術館
ヴァージナルの前に立つ女

1669年~71年

ロンドン、ナショナルギャラリー
手紙を書く女と召使

1670年~72年

ダブリン ナショナル・ギャラリー
ギターを弾く女

1673年~74年

ロンドン、ケンウッドハウス




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