吉野の桜と奈良観光、

    ついでにゴルフを楽しむ
2011年4月21日〜26日
 吉野と言えば桜であり、桜と言えば吉野とも言われ、一度は行ってみたいと思っていました。5年前にもチャレンジしましたが、その時はまだ3分咲きなので吉野を中止し、京都の桜を観光して帰ってきてしまいました。今年は再チャレンジです。
 幸い今年は桜の時期が例年より1週間も遅く、この時期でも吉野の桜を十分楽しむことが出来ました。吉野の桜はそのほとんどが山桜なので、開花時期はソメイヨシノより多少遅いようです。

 

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観光内容
1日目 自宅から、吉野神宮、西行庵、奥の千本を見学
2日目 吉野の桜、終日歩いて見学
3日目 室生寺と平城宮跡観光
4日目 終日、奈良観光
5日目 奈良白鳳カントリークラブ
6日目 伊賀上野の上野城観光後自宅へ戻る



     

1日目 自宅から、吉野神宮、西行庵、奥の千本を見学

 

  吉野の主な見学先です。上から吉野神宮、大きな駐車場のある千本口、金峯山寺(きんぷせんじ)、吉水神社、宿、如意輪寺、高城山(たかぎやま)、金峯神社(きんぷじんじゃ)、西行庵です。
 初めてだとなかなか正確には読めません。それ以外にも吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)なども見学しました。



吉野神宮
  
 朝、6時ごろ、自宅を出発し、吉野到着は午後3時ごろでした。まずは吉野の麓にある吉野神宮から見学を開始しました。大方の桜はもう終わっており、遅咲きのしだれ桜が満開でした。



奥千本
  
 さらに車で吉野山に向かうと、歩行者天国になっており、車は通行不可能でした。大きな駐車場があり、しばらく停めて散歩でもしようと思ったのですが、周りの桜はほとんどが散ってしまい、その上、駐車場料金が1500円もします。その為、そこでU-タウンし私たちの宿のある中千本まで、別なルートで向いました。
 吉野の桜は、山の上から順に、奥千本、上千本、中千本、下千本と言われ、先ほどの駐車場は下千本の千本口にあります。
 しばらく山を登って行くと、中千本当たりの桜はまだまだ見事でした。
 宿に入るのもまだ早いので、西行庵のある奥千本まで行ってみました。吉野の山には幾つかの駐車場がありますが、どこに停めても1,500円です。気軽に入れたり出したりする訳にも行きません。
 まだ、着いたばかりで土地勘がないため、とにかく車で行けるところまで行ってみようと思い、山を登って行くと奥千本への入口に到着しました。想定していたとは全く違い、ここには桜がほとんどありませんでした。後で、宿の女将に聞いたところ、奥千本と言う名前はあるが、桜は少なく、吉野町としては、観光誘致のため、たくさん桜を植えたいのだけれども、なかなかお金がなくて、困っているそうです。
 とりあえず、そこに車を停め、徒歩で山を登って行くと、金峯神社(きんぷじんじゃ)に到着します。ここからさらに坂を登ったり下りたりして細い道を歩いてゆくと、まだ3分咲きの感じですが、数十本の桜が咲いていました。面白いことに、そのそばに、ここは奥千本と言う看板が設置されていました。



西行庵

 下の写真の2枚目にあるように、この小さな庵は、鎌倉時代の初めごろ、西行法師がこの地に侘び住まいしていたそうです。
 案内板に書いてあった苔清水に行き、水を飲んでみました。



上の千本から中千本へ

 再び奥千本の入口に戻り、そこから車で宿に向かいました。
 宿の窓からは一目千本と言われる吉野の桜を見ることが出来ました。
 


     

2日目 吉野の桜、終日歩いて見学
    
 宿の部屋から見た吉野です。残念ながら今日は雨模様です。午後になると降り始めると言う予想でした。



バスで奥千本口へ

 雨が降ってくる前に見学しようと、朝一番発のバスで奥千本口まで行き、そこから歩いて山を下りることにしました。
 しばらく歩くと、高城山展望台入口があり、坂を登って展望台まで行ってみました。
 この近くにはあまり桜がありませんでした。



吉野水分(みくまり)神社

 さらに歩いて下ると、吉野水分神社にでます。国宝のある本殿はちょうど修理中で、布で覆われ、見学することは出来ませんでした。ここはまだ上千本です。



上千本から中千本へ

 昨日は車で通った道を今日はゆっくりと歩いて下りて行きます。遠くに金峯山寺が見えます。言葉もない素晴らしい風景です。



 下りる途中、ところどころに小さな神社やお茶屋さんがあります。
 昨日は車で通った道ですが、本当に狭く、一方通行になっています。


 金峯山寺に向かい歩いて行くと、いろいろなお寺があります。ところどころ、覗いて入ってみました。お寺からも桜が見えます。


           
吉水神社
   
 南朝皇后の吉水神社は重要文化財の宝庫とも言われており、源義経、静御前悲恋の古跡や、豊太閤豪華花見の本陣図などがあります。 



金峯山寺
 
 吉野を歩いているとどこからでも見ることのできる、吉野を代表するお寺で、7世紀に作られました。木造の建築物としては、奈良の東大寺大仏殿についで2番目の大きさを誇ります。蔵王堂には蔵王権現が祀られています。修験道の総本山としても有名です。
 ここにお参りする人は、桜の苗木を寄進するのが習わしでした。1本、1本と増え続け、今では3万本あると言われています。そのほとんどは山桜です。
 この蔵王堂と、その北側にある仁王門は国宝に指定されています。 
 雨が少し強くなって来ました。
 蔵王堂の前の狭い道の両側にはたくさんの土産屋さんが軒を連ねていますが、奈良漬を買おうと立ち寄って聞いたところ、例年なら、店の前の道路は、人がいっぱいで見えない程だそうです。今年は、団体客の観光バスのキャンセルが相次ぎ、どうしようもないとあきらめ顔でした。



如意輪寺
 
 宿の窓から見えるのが如意輪寺で、桜に囲まれています。歩いて約30分程度だそうなので行ってみました。幸い、雨もほとんどやんで来ました。浄土宗のお寺で、本尊は如意輪観音です。
 参拝者は私たちだけとひっそりとしていました。お寺の奥には宝物殿や多宝塔があります。

     

3日目 室生寺と平城宮跡観光

室生寺

 吉野から奈良に向かう途中、三重県と奈良県の県境の奥深い山村にあり、まだ桜が残る室生寺に立ち寄ってみました。
 室生寺は奈良時代の終わりごろ、朝廷の命によって作られました。この寺は、激しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の真言道場として女性の参拝を許してきたことから、女人高野としても親しまれています。
 室生寺の金堂と灌頂堂(本堂)、五重塔の3つは国宝に指定されており、金堂内の釈迦如来立像、十一面観音菩薩像、帝釈天曼荼羅図も国宝に指定されています。その他、弥勒堂の釈迦如来坐像も国宝に指定されており、たくさんの国宝を有しています。建物や仏様は、室生の山の大木を使用して作られています。
 なお、この五重塔は屋外にある五重塔では最も小さいと言われ、16.1mの高さだそうです。女性の優美な立ち姿にも例えられています。しかし、平成10年の台風により、五重塔の屋根は樹齢600年の杉の大木の倒壊により押しつぶされてしまいました。1200年の歳月を生き抜いてきた塔にとって初めての大事でした。
 その一カ月後、ただちに解体大修理が開始され、今は美しい姿を取り戻しています。



奥の院
  
 五重塔から奥へ進み、石段を登って行くと、奥の院、御影堂に出ます。急な斜面に建つ舞台造りになっています。堂の内部では、どなたかの法事が営まれていました。



大野寺
  
 室生寺の近くに桜の名所として名高い大野寺があり、立ち寄ってみました。時期が少し遅いこともあって、誰も居ませんでした。
 このお寺には樹齢約300年と言われる小糸シダレ桜が2本と、紅シダレ桜が10本あります。対岸には岸壁に刻まれた高さ13.8mの弥勒磨崖仏があります。



平城京跡

 
 昨年、平城遷都1300年祭が開催され、何かと話題になりました。
 平城京は唐の長安をモデルとして設計され、南北約5km、東西約6kmもあり、その北端には、約1km四方の平城宮が作られました。平城宮は、大極殿や朝堂院などの宮殿のほか、天皇の住まいである内裏があり、周囲には国の役所が立ち並んでいました。
 平城京には約10万人が済み、平城宮には1万人が住んでいたそうです。
 明治時代の終わりごろ、この遺跡の一部が発見され、それ以来、その遺跡を保存しようとする運動が強く起り、広大な土地が、ほぼ原野のまま保存され、幾つかの建物が復元されています。奈良市内の一等地にありながら、わずかな建物以外はすべて原野のままなであり、不思議な場所に迷い込んだような驚きを感じます。
 現在までの発掘された遺跡は全体の30%で、全体を発掘するまで、あと、100年はかかると言われています。 
 



平城宮跡資料館
 
 文化庁に管理されたこの遺跡には、資料館や歴史館、など幾つもの施設があり、いずれも入場無料で、その上、入館すると数名のボランティアが待機しており無料で案内してくれます。私たちが中に入ると、ボランティアさんが、どのぐらいの時間がありますか、3時間ですか、4時間ですかと言われたのには驚きました。遺跡は非常に広く、全部見て回るとそのぐらい必要なそうです。雨も降っており、外を数時間歩くのも大変だし、私たちは車で来ているので、車で回りますと答えると、それでは駐車場のない第一次大極殿までご案内しますと言われ、この資料館内部と歩いて大極殿まで行き、そこの説明を受け、再び帰って来ましたが、1時間以上かかりました。私たち二人に対し、長時間も付き合って頂き、感謝でした。
 



第一次大極殿

 宮殿の中で、最も重要な建物であり、天皇の玉座である高御蔵が置かれています。復元に際しては、発掘調査のデータや現存する奈良時代の建物などを参考に多くの専門家が研究し、2001年から9年の歳月をかけ昨年の2010年に完成しています。
 なお、奈良時代とは平城京に都が移された710年から京都南の長岡京に都が移る784年までの75年間をいいますが、その間に都は恭仁(くに)京や難波京、紫香楽(しがらき)京などに移されています。それら移転の都度、大極殿など、多くの建物も移転したそうです。奈良時代の後半には、都が再びこの地に戻り、第二次大極殿が平城宮の東の方に作られています。



東院庭園
 
 平城宮の東に大きく張り出した部分があり、1967年、そこに大きな庭園の跡が発見されました。
 東西80m、南北100mの敷地を有し、複雑な曲線を持つ池が作られています。1995年から3年の歳月をかけて復元されています
 宇治の平等院はこの庭園を原型にしたと言われています。
 ここでもボランティアの方が案内してくれました。
 


遺構展示館

 

 発掘した状態をそのまま見ることが出来る様になっている展示館です。ここでもボランティアの方が案内してくれました。

    

4日目 終日、奈良観光

 もう何度ともなく、奈良を散策をしていますが、今回も何時ものように猿沢の池から興福寺の五重塔を見て、東大寺の方に歩いて行くことにしました。
 猿沢の池は、高校時代の修学旅行で来た時や、入社して2年目にポンコツの軽自動車を買った後、友達とドライブで来たのも懐かしい思い出として残っています。その後、何度となく訪れています。



東大寺大仏殿

 興福寺の宝物館は9時にならないと開かないとのこと、そこは帰りに見ることにして、大仏のある東大寺に歩いて行きました。
 東日本大震災の影響もあって、観光客はあまり居ませんでした。
 


二月堂
 
 二月堂は奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られています。奈良時代に創建され、現在の建物は1669年に再建されています。国宝に指定されています。このお水とりの行事は、毎年2月中旬から3月中旬まで行われ、奈良時代から一度も途絶えることがなく、続いています。



東大寺法華堂(三月堂)


 三月堂は、その本尊、不空羅索観音と共に、日光菩薩、月光菩薩が有名です。ここには何度となく訪れていますが、以前、内部はかなり暗く、懐中電灯を持って行き、それで照らして見るのが普通でした。でも、今回訪れた時の内部は全く違っていました。
 三月堂は、耐震強度を満たさず、かつ、乾漆像は細部にわたっていたみが見受けられるため、修復作業が行われており、それらが完了すると、「東大寺ミュージアム」に移転されるそうです。完成は平成23年10月以降とのことです。
 現在は、不空羅索観音の代わりに弁財天が設置されており、LEDライトにより、いずれも明るく照らされ、それらの美しいお顔をはっきりと見ることが出来ました。
 

 家内が一句、作りました。 「春月や三月堂の半眼仏」


若草山
 修学旅行の定番コースです。高校時代の修学旅行でここを歩いたことを覚えています。しかし、その後、何度か訪れていますが、登る気にはなりませんでした。今回も登りませんでした。



春日大社

 平城京が作られたと同じ頃に作られています。たまたま、どなたかの結婚式が行われていました。大変豪華の結婚式なのでしょうか。



奈良国立博物館(仏像館)
 
 仏像館には、たくさんの国宝、重要文化財が飾られています。
さすがに国立博物館です。インターネットで、画面はさほど大きくはないものの、画像を見ることが出来ます。

 



興福寺 

  奈良観光に行ったら、必ず訪れるお寺です。国宝館の中には、良く知られた阿修羅立像、千手観音菩薩立像、金剛力士立像など、国宝40点と、重要文化財19点が展示されており、国宝に指定された仏像彫刻の17%は興福寺にあると言われています。
 館内を歩き、千手観音菩薩立像の前に立った時、そのあまりの素晴らしさに、体の力がスーと抜けて行き、催眠術にかかったかごとくになったのを覚えています。

 下の写真は、国宝館、東金堂、五重塔、三重塔、北円党などですが、国宝館以外はすべて国宝に指定されています。
 東金堂には国宝である4体の仏像とと3つの重文が安置されています。

 家内が一句作りました。 「春光や仏の衣装豊かなり」



 午後は薬師寺と唐招提寺の見学ですが、遠いのでホテルに戻り、自分の車で行きました。


薬師寺

 法相宗の大本山で、東塔、東院堂が国宝に指定されており、金堂の薬師三尊像をはじめ、たくさんの仏像も国宝に指定されています。東塔の三重塔の美しさは、世界的に有名です。
 金堂をはじめ、西塔など、幾つもの建物が高田好胤師をはじめ、多くの人たちの協力により、再建されています。
 1976年、金堂が落慶し、1981年、西塔が落慶しています。
 しかし、現在、東塔の傷みがひどく、近々、大修理に入り、完成するのは8年後だそうです。生きているうちに、東塔を再び見ることが出来るかは分かりません。
 1991年、玄奘三蔵院伽藍が落慶し、2000年、平山邦夫画伯により「大唐西域壁画」が献納されています。この壁画は、今年、東京の国立博物館でも展示され、私も見に行きましたが、ここで再びその壮大な絵画を見ることが出来ました。

 



唐招提寺
 唐招提寺は鑑真和上で有名ですが、鑑真和上は日本からの招きに応じ、当時、極めて難しかった航海に5度も失敗し、失明しながら、ついに753年、6度目の航海で来朝を果たしました。和上は759年、この唐招提寺を創建されました。
 阪神淡路大震災を契機に行われた調査により、多くの解体修理が必要との結論を得て、国宝の金堂や、国宝の盧舎那仏、薬師如来像、千手観音像の修理がおこなわれ、2009年、無事に完了し、公開されています。
 鑑真和上の故郷、中国揚州の名花である「けい花」の特別公開がなされていました。まだ、ほとんど咲いていませんでした。
 寺の奥には、鑑真和上のお墓があり、お参りして来ました。


 頂いたパンフレットからです。唐招提寺には東山魁夷の絵が、薬師寺には平山郁夫の絵が飾られており、面白い対比です。

      

5日目 奈良白鳳カントリークラブ

 奈良でもゴルフをしてみようと、山岳コースではありますが、山辺郡にあるコースでプレーしてみました。
 平日にも拘わらず、たくさんの人がプレーをしており、午後のプレーは何と3時間半も掛りました。奈良から比較的近いのにプレー代が安いためだと思いますが、とにかく混んでいるのには驚きました。
 プレー後、伊賀上野のホテルに向かいました。

     

6日目 伊賀上野の上野城観光後自宅へ戻る  

 今日は自宅まで帰るだけの予定ですが、折角なので、泊まったホテルに近い上野城を見て来ました。
 上野城は豊臣時代に建てられましたが1854年の安政の大地震で、城や城下町が大被害にあい、城はあまり直されていませんでしたが、昭和10年に再建されています。
 このお城は高石垣で有名です。この高石垣は大坂城の高石垣と共に日本で一、ニを競う高さを誇っています。1611年(慶長16年)に「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さを誇り、三方に折廻して、延長368mに及んでいます。


 
 伊賀上野公園の中に芭蕉記念館があり、見学して来ました。
 松尾芭蕉(1644-1694)は三重県伊賀市に生まれました。記念館には、芭蕉ゆかりの資料や、「奥の細道」など生涯5つの旅の説明などがなされていました。





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