迎賓館赤坂離宮見学


2016年10月20日

 迎賓館赤坂離宮が今年4月から外国からの賓客の接遇に支障のない範囲で一般公開が行われるようになりました。家内のお友達がもう何人も見てきたという話を聞き、私たちもインターネットで申し込み見学して来ました。
 インターネットで受け付ける個人の部の見学人数は12時からが750名、午後2時からも750名との事、団体の場合は午後1時から750名、午後3時から750名だそうです。従って1日の入館者数は3,000名のようです。また、当日先着順の見学枠もあるようです。
 赤坂迎賓館は皇居からさほど遠くなく、また、都心の一等地に位置しており、JR四ツ谷駅からは歩いて7分ほどの位置にあります。四ツ谷駅には何度も行っていますが、都心にこのような広大で立派な宮殿があることには全く気付きませんでした。
 私たちは午後2時からの見学でしたが案内者が居るわけではなく到着順にどんどんと流れるように入館し、いくつかの部屋を回って出口に出てきます。見学時間は約30分程度でした。
 

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赤坂迎賓館

 約10年の歳月をかけ明治42年(1909年)、明治天皇の皇太子の御所、「新東宮御所」として完成しました。明治時代の一流建築家や芸術工芸家が総力を挙げ、国家の威信をかけて作り上げたネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築でベルサイユ宮殿やバッキンガム宮殿などを参考にして作られました。昭和天皇も皇太子時代、ここに住まわれました。
 終戦後、使用されないまま放置され前庭には雑草が生えるまでに荒廃していましたが、昭和23年、皇室の手から国に譲られ、国会図書館として使用されて一般の人も入れるようになりました。
 昭和36年には東京オリンピック組織委員会が置かれ、シャンデリアの下には蛍光灯が付けられ、その下にはたくさんの机と椅子が置かれました。
 昭和49年、海外からの賓客をもてなすため、当時の面影を残しつつ、大改修を行い迎賓館に作り替えられました。その後、歓迎式典、首脳会談、国際会議、など外交の表舞台となり、オバマ大統領との会談や東京サミットの会場にもなりました。
 宿泊施設も備えられ、宿帳にはアメリカのフォード大統領、 チャールス皇太子やダイアナ妃、エリザベス女王のサインなどもあるようです。
 歴史ある建築物として平成21年に国宝に指定されています。



入館
 賓客は馬車や高級車に乗りパトカーに先導されこの門から入りますが、一般の見学者は西門から入ります。
 この門の高さは9.4メートル、これも国宝です。
 この門の数十メートル離れた小さな門からは、申し込み不要でかつ無料でこの前庭に入ることが出来ます。ただし本館には入れません。ゲートには数名の係員がおり手荷物などの検査をしていました。
 私たちは西門に向かいました。予定の2時の30分ぐらい前に並びましたが、かなりの列ができていました。空港と同じような危険物探知を通って中に入り、入場料金、一人1000円を自動切符発券機で支払います。


 入場料を支払い中に入ると、特に案内者はおらず前の人に続いて歩いて行くことになります。
 館内は非常に混雑しており、立ち止まることはなかなか出来ません。
 写真は禁止でしたが、赤坂迎賓館のホームページを見れば、内部の写真を見ることが出来ます。
 幾つもの部屋を順に回ってみてゆくのですが、各部屋には説明者がおり、質問には丁寧に答えてくれます。
 




迎賓館内部

 内部は写真禁止でした。海外のほとんどの宮殿は写真撮影可能なのですが、日本の対応はだいぶ遅れているようです。
 詳しくは迎賓館のホームページ、http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg13689.html で写真入りで解説されています。
 下の写真は訪問時に頂いたパンフレットや迎賓館ホームページからのコピーです。
 解説は頂いたパンフレットとNHK 探検バクモン 「迎賓館 赤坂離宮」 と、上記のホームページからです。
 まず、中に入って驚くのは、立派な大理石の柱と豪華なシャンデリアです。そして、ピカピカに磨き上げられた部屋の明るさです。

羽衣の間


 舞踏会が出来るように設計されています。中二階にはオーケストラボックスがあります。
 1979年、1986年、1993年と過去三回行われた先進国東京サミットはいずれもこの迎賓館で行われ、この部屋が使われました。
 このシャンデリアはフランスに注文して作られ7000個の部品からできています。シャンデリアの中には鈴やバイオリンの模型なども飾られています。
 舞踏会が出来るように作られたもののまだ一度も舞踏会は開かれていないとのことです。
 羽衣の間の由来は天井に描かれた羽衣の大絵画から付けられました。
朝日の間


 迎賓館の中で最も格式の高い部屋で2国間の首脳会談や国賓で賓客がお泊りになる時、出発前に天皇皇后両陛下がここに来られてご挨拶をされる間です。その時は、お客の人数に合わせて立派な椅子などが用意されます。
 柱の大理石はノルウェーから輸入したもので、淡いピンク色に白い斑紋が優美な輝きを保っています。
 壁には京都西陣織で立体感のある高級織物が飾られています。
 大理石のテーブルはフランスから取り寄せています。
 この部屋の家具は明治42年創建当時のものがそのまま使用されています。
 床の絨毯には桜の花が描かれています。
花鳥の間


 この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される部屋で、最大130名の席が設けられます。木目調の部屋ですがシャンデリアの中には目立たないようにスピーカーが取り付けらていて部屋全体の音質効果を高めています。
 「花鳥の間」という名は、天井に描かれた36枚の油絵や、欄間に張られた錦綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝などに花や鳥が描かれていることに由来します。
  晩餐会用の料理はホテルに依頼し、ホテルから料理と共にシェフ、ウエーターなどたくさんの人が来て接待するのだそうです。
彩鸞の間


 「彩鸞の間」という名は、左右の大きな鏡の上とねずみ色の大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞」(らん)と呼ばれる霊鳥をデザインした金色の浮彫りがあることに由来します。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せています。
 この部屋は表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えも間として使用されたり、晩餐会の招待客が国・ 公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビインタビュー等に使用されています。

大ホール


 ホールの中心には8本のイタリア産の大理石の大円柱(高さ5.47m)が並んでいます。

中央階段


 2階大ホールから見下ろす中央階段の床には、イタリア産の大理石が張られ、その上に赤じゅうたんが敷きつめられています。階段の左右の壁には、フランス産の大理石が鏡張りされています。また、欄干はフランス産の大理石であり、その上に8基の黄金色の大燭台が置かれています。




 部屋の見学が終わると正庭を見学することが出来ました。この噴水も国宝です。




入り口

 賓客はここまで車で来て、中に入って行きます。




前庭

 ここには予約なしでかつ無料で誰でも入ることが出来ます。ただし、手荷物の検査などがあります。


 行ってみて本当に驚きました。ベルサイユ宮殿と比べその規模は劣るものの明治の人たちの気迫が感じられます。そして内部はピカピカに磨き上げられ、作られたばかりのような輝きを保っていました。
 過去の東京大空襲で東京はほとんど焼け野原になったと思っていましたが離宮がそっくり残っていたのにも驚きました。
 説明係員になぜ大戦で破壊されなかったのかと質問したら、アメリカ軍は故意に皇居と赤坂離宮には爆弾を落とさなかった為だと言っていました。爆撃機B29の飛行高度は非常に高く、日本の対空放射機ではそこまで届かず、余裕を持った空襲が出来たのだそうです。
 今回は和風別館の見学も申し込んだのですが、残念ながら抽選に落ちてしまいました。
 最近、海外からの観光客がたくさん日本に訪れ、東京の観光も楽しんでいますが、明治時代の遺産も海外の人にも見てもらいたいものだと思います。迎賓館内部は非常に込み合っており、当分は無理かもしれませんが、少なくとも正庭には予約なしでも入れるようにしたいものです。間違いなく東京一の名所です。






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