ドイツ、フランクフルトとミュンヘンの
観光15日間(前半) 個人旅行
個人旅行で最もお金の掛かるのは飛行機代なので、時間が許せば出来るだけ長く滞在した方が旅を楽しむことができます。そのため今回は15日間と長い旅になりました。
また個人旅行の問題は重い荷物の運搬なので駅の近くの宿を取り出来るだけ同じ宿に泊まり、そこからいろいろ足を延ばすことにしました。そのため宿はフランクフルトとミュンヘンの2ヵ所にしました。しかし駅前のホテルは総じて高いのが問題です。
円が安くなり、1ドルが101円になり、成田での交換レートは1ユーロ 137.8円でした。
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ドイツの国土面積は日本の94%程度と少しばかり小さく、人口は8200万人と、日本の65%程度に当たります。
GDPは、アメリカ、中国、日本に次いで世界の4番目に位置しています。
経常収支は世界一で、経済的には世界で一番安定していると言われています。
首都はベルリンですが、イギリスやフランスに比べ大都市が分散しているのが特徴です。 |
ドイツの都市の人口を下に示します。
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都市 |
万人 |
% |
1位 |
ベルリン |
323 |
3.9 |
2位 |
ハンブルク |
165 |
2.0 |
3位 |
ミュンヘン |
123 |
1.5 |
4位 |
ケルン |
95 |
1.2 |
5位 |
フランクフルト |
64 |
0.8 |
例えばロンドンの人口は817万人で、イギリス全体の13%に相当します。
都市の人口の定義は難しいのですが、世界的にみて断トツに大きいのは東京首都圏で、車で走れば実感できますが、大宮、千葉、横浜、八王子など、東京を囲む大都市の中は、人家が切れ目なく続いています。上海やムンバイの人口も多いのですが、グーグルの衛星写真を見ていると人家が切れ目なく続く領域は東京首都圏がダントツに大きいようです。
今度訪問したフランクフルトやミュンヘンの人家が続く市街地はそれほど大きくはありませんでした。
ドイツというと、いろいろな言葉が思いつきます。
思いつくままに、ランダムに書いてみました。
ゲルマン民族、第一次世界大戦、第二次世界大戦、アドルフ・ヒトラー、印刷の発明、マルチン・ルター、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ベルリンフィルハーモニー、カラヤン、ベンツ、BMW、シーメンス、アインシュタイン、ビール、ソーセージ、経済の優等生、旅行好き、などなどです。 |
以下に観光内容を示します。
1日目 成田からフランクフルトへ
今回は個人旅行なので、JALのビジネスクラスを利用しました。行きはJAL407、帰りはJAL408です。出発は 12時15分、到着は 17時20分です。時差が7時間なので、約12時間の飛行になります。
飛行中、1時間のWiFi無料券が配られました。家内の分も頂いたので、合計2時間、使用できました。
使用してみたら、非常に遅いので、通信速度を測ってみました。衛星を使った通信なので、やむを得ないのでしょう。その結果、下り190Kbps、上り
98Kbps と出ました。
この通信速度は、パソコン通信をしている人数でシェアしていると思われるので、みんなが寝ているときは早くなるのかも知れません。
試みに自宅の光ファイバを使った回線では 下り 60Mbps、上り 33Mbps ですから、 自宅と比べると、約320倍ぐらい遅いようです。それでも、インターネットを使用し、囲碁を楽しむことは可能でした。
なお、2時間を過ぎると有料になり、JALカードを使用すると、1時間10.75$、24時間19.75$と書かれていました。
このスピードはPHSやNTTDocomoの低速度常時接続無線回線の 32Kbpsや 128Kbps よりは早いのですから、大量のデータを送受信しない限り、十分実用的です。
なお、どのような経路で通信がなされているかを調べるため、自分自身にメールを送って、家に帰ってから、経路を調べたのですが、私の技術力では、あまり解析出来ませんでした。どの衛星を経由したかは、履歴として残らないようです。 |
個人旅行の難点は、重い手荷物の運搬にありますが、入国手続きを済ませ、手荷物を受け取ったあと、そのままタクシーに乗れば、簡単にホテルまで行くことが出来ます。しかし、特に疲れてもいないし、フランクフルトの宿は、駅のすぐ前にしたので、電車で行くことにしました。
電車なら11分で、フランクフルトの中央駅まで行くことが出来ます。
JALは第2ターミナルに到着するので、地下鉄のある第1ターミナルまでスカイウェーを利用して移動します。 |
切符を買おうと思い、自販機を操作しようとするとドイツ語です。これからの2週間、これらのドイツ語を覚えないと列車に乗れないと思い、写真を取って後で覚えようと思ったのですが、よく見ると、ドイツ語以外にも、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、トルコ語も表示するようです。結果的にドイツ語を覚える必要はありませんでした。(大学時代、第二外国語としてドイツ語を学びました。また、学位を取る時もドイツ語の試験を受けましたが、今は殆んど忘れてしまいました。ただ、なんとなく分かります。)
なお、日本語が出ていなかったのはこの駅だけで、市内の自販機にはすべて日本語のボタンがありました。
切符に印字された時刻を見ると 切符を買ったのは 17:49でした。飛行機到着から結構スムーズにここまで来られました。
電車が来たのは17:58で、フランクフルト中央駅到着は18:09でした。
電車はかなり混んでいて苦労しましたが、空港駅では私たちと同じような大きな荷物を持った人がたくさん乗り込んで来ました。 |
無事にフランクフルト中央駅に到着です。
昔、仕事でフランクフルトに来たとき、同僚たちと駅内で名物ソーセージを買って食べたのを思い出し、ここで再びチャレンジしてみました。
これが今夜の夕食です。パンの固さが心地よく、こんなにも美味しいのかと驚きました。結果的には、ドイツでの最高の食事はソーセージでした。
なんとなく、ハイネケンを買ってしまいましたが、ここはドイツです。明日からはドイツビールにすることにしました。 |
ホテルは駅前の地下道を上がった所にありました。駅舎の正面は工事中で、名物の正面の駅舎の姿は、板に描かれていました。ホテルは高級の部類ではありませんが4つ星で、日本人もよく利用しているようでした。WiFiは無料でした。
ヨーロッパの夏の日の入りは遅く、午後10時ごろまでは暗くなりませんでした。
長い一日でしたが、疲れはありませんでした。 |
2日目 フランクフルト市内観光
今日は市内を約2時間で回る2階建ての観光バスに乗った後、市内の主な見どころを歩いて観光しました。 |
朝食
ホテルの朝食はバイキングですが、嬉しいことに、薄く切られた生ハムやメロン、スモークサーモンが食べ放題でした。 |
市内の地図
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市内には市電や地下鉄が走っていますが、中央駅からレーマー広場までは歩いても20分程度です。
結果的にはそれらを一度も利用しませんでした。
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観光バス2時間乗車
とりあえず、駅前から出ている市内観光バスに乗ってみました。英語専門のバスです。
なにやら、今日は建築関連のお祭りが行われているそうで、ガイドさんはぜひ、もう一度市街を歩いてみてください、ただし、ここに来るには絶対に車やタクシーを利用してはいけません。地下鉄を利用してくださいと言っていました。 確かに、中心部の道路は歩行者天国になっていてバスは入れませんでした。
高層建築が目立ちますが、新宿並みのようです。街自身の大きさは、新宿の方が大きいかも知れません。 |
観光バスは中央駅に到着し、そこが終点です。こんどは、そこから歩いて、マイン川に架けられた歩道専用橋を通り、シュテーデル美術館に向かいました。途中、2006年8月の旅行の時に泊まった Intercontinental Hotel の横を通ったので、その時と同じ場所で写真を撮って見ました。
歩道橋を渡るとすぐに美術館でした。
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シュテーデル美術館
ドイツの美術館は、総じて何処も空いていますが、この絵画館もかなり空いていました。そのため、ゆっくりと鑑賞することができました。
有名なフェルメールの絵画のある部屋にもだれも居ませんでした。 |
良く知られた幾つもの作品があったので、並べてみました。
Alfred Sisly |
Arnold Bocklin |
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Auguste Renoir |
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Barent Fabritius |
Claude Monet |
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Edgar Degas |
Jacob Feppens Van Es |
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Jan Weenix |
Johannes Vermeer |
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Lucas van Valckendborch |
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Marc Chagall |
Sandro Botticelli |
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Rembrandt Harmensz, van Rijn |
Raphael |
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Sandro Botticelli |
Meister Von Flemalle |
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その他、感動した絵画の一部を載せてみました。
博物館通り
美術館のある通りは、博物館通りとも言われ、ドイツ情報通信、ドイツ建築、ドイツ映画、世界文化、応用工芸、インコ、ユダヤ、歴史など、たくさんの博物館が軒を連ねています。見ているとキリがないので、美術館以外はスキップしました。
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アイゼルナー橋
マイン川には2本の歩道専用橋が架けられています。今度は別の橋を渡って旧市街地の方に向かいました。
こちらの階段には自転車を押してあげる平らな通路が設けられて居ました。 |
後ろを振り向くと、高い尖塔をもつ教会が見えます。案内書を見ても、何も書かれていません。この程度の教会は、地図に書き入れて貰えないようです。確かに無数の教会があるようです。 |
橋の両側の欄干にたくさんの鍵が括り付けられています。このような風景はヨーロッパを歩いていると、時々見かけることがあります。誰かが付けると、だんだんと増えて行くのでしょうか。 |
レーマー広場
橋を渡ると、旧市街の中心であるレーマー広場に出ます。広場の周りには、大聖堂、ニコライ教会、旧市庁舎などあります。市庁舎と教会はヨーロッパの旧市街の特徴のようです。
下の写真は、大聖堂が見える方向から右回りに写真を並べてみた物です。
大聖堂が遠くに見え、その90°右側には高い鐘塔をもつニコライ教会が見えます。
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さらにその右側には、旧市庁舎があります。この市庁舎は、サッカーの優勝など、大きなお祝い事があった時に使用されるそうです。
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広場では、パフォーマンスも行われていました。
大聖堂
フランクフルトを代表するゴシック様式の大聖堂です。塔の高さは95mで、1415年に建設が始まり、1877年に完成しています。
神聖ローマ帝国皇帝の選挙や戴冠式の行われた歴史ある教会で、皇帝の大聖堂(カイザードーム)とも呼ばれているそうです。 |
丁度礼拝中でした。ただし、よく見ると、礼拝している人もデジカメで神父さんの写真を撮っていたので、私も写真を撮って見ました。内部には、戦後の破壊状態と、その後の復興の様子が年代順に掲げられていました。 |
ここからホテルまで、歩いて帰ることにしました。街中はお祭りのため、大変の人だかりです。
広場の向うにカテリーナ教会が見えます。
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なにやら超高層ビルフェルティバルと書かれています。面白フェスティバルがあるものです。 たしかに、ビルを作るための高所作業の訓練や掘削機などのデモンストレーションが行われていました。
また、円球の中で数台のオートバイが走り回るサーカスの催しもなされていました。
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しかし、参加者にとって最大の目的はビールとソーセージという感じでした。私たちもポップコーンを買いましたが、その袋の大きさには驚きました。数日かけても、とても食べきれませんでした。
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歩いているとタイ料理店を見かけました。今年の2月にタイに行った時の料理を思い出し、夕食をここで食べることにしました。ただし、お酒類は売っていないので、近くのパブでビールを買い、タイ料理店の前の道路に置かれた机で食べることにしました。スープの味は、確かにタイ料理そのものでした。今日はドイツビールです。 |
3日目 ケルン(世界遺産)とリンブルク観光
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ケルンは人口95万とドイツ第4位の大都市です。
ライン川沿いにあり、中世時代はドイツ最大の都市でした。
フランクフルトから特急電車で約1時間半弱です。
車の場合、A3号線を使用すると185q、2時間弱のドライブとなります。
フランクフルトを9時に出発し、到着後、ケルンを観光し、帰りに、リンブルクを観光しました。
ホテルに帰り着いたのは午後7時を過ぎていました。 |
ケルン大聖堂の歴史
建設が始まったのは13世紀、完成したのは19世紀、中世の面影をそのまま残す大聖堂ですが、作るのになんと632年も掛かっています。
その高さは157mで、完成時には世界一の高さを誇った大聖堂です。
着工当時の13世紀、ヨーロッパでは大聖堂の壮麗さを競うはげしい建設競争が巻き起ころうとしていました。パリではノートルダム寺院が造られ、多くの大都市がその力を誇示し始めたのです。
もともとケルンには古い時代の聖堂がありました。そこには、イタリアから手に入れた貴重な聖遺物があり、それは黄金の柩に納められ、1000個にも及ぶダイヤ、ルビー、真珠で飾られています。それはケルンの聖堂の中核となっていました。その聖遺物とは新約聖書に登場する東方の三博士の遺骨でした。
東方の三博士はイエスが誕生した時、不思議な星に導かれ、ベツレヘムに向かい、幼子イエスに祈りを捧げたと言われます。
当時、キリストや聖人たちの遺品、いわゆる聖遺物には奇跡を生む力があると堅く信じられていました。そのためケルンはヨーロッパで最も重要な巡礼地の一つになりました。
ところがその聖堂は1248年、火災で焼失するという大災難に見舞われます。
この大切な聖遺物には立派な聖堂が必要でした。それまでにない規模と美しさが求められたのです。
そうした巡礼地にふさわしい大聖堂を求める声に答え、ケルン大司教は自分の権力を示すためにもより立派な聖堂の建設に着手します。
13世紀の頃、ケルンはライン川の交易で栄え、商人たちの力によりドイツ最大の都市になっていました。
建設資金は信者からの寄進により集められましたが、その規模があまりにも大き過ぎ、しばらくして資金難に陥り、16世紀になると、マルチィン・ルター(1483-1546)による宗教革命(1517)が起こりました。
ルターは、人が救われるのは教会や聖遺物への寄金ではなく、心の中の信仰を深めることだと説きました。
さらにそれを困難にしたのが、ペストの流行やコロンブスの新大陸到達による貿易構造の激変でした。ヨーロッパの中心はスペイン、ポルトガルへと移って行ったのです。
ドイツ国内ではカトリックとプロテスタント間でのいわゆる30年戦争(1618-1648)が起こり、ドイツ国内は破壊と疲弊へと進み、ケルンは衰退への道を歩み始めます。
この戦争により、ドイツの人口は半減したと言われています。その後、中小国が林立した状態となり、イギリスやフランスに大きな後れを取ったと言われています。
そのような中、大聖堂の建設は16世紀に完全に停止し、未完成の塔には工事用のクレーンが載せたまま放置されました。
建設が再開されたのはそれから300年も後の事でした。
そのきっかけとなったのはナポレオン(1769-1821)によるヨーロッパの征服でした。ナポレオンはヨーロッパの殆んどを征服しますが、その後、ロシアへも遠征し敗退してしまいます。それを期にドイツでは民族意識が盛り上がり、小国のままでは大国に対抗できないことを悟り、団結して、1815年、ついにナポレオンから領土を取り返します。
小国に分裂していたドイツが統一に向かい、35の君主国と4つの自治都市によるドイツ連邦が成立します。そういう統一へのうねりの中、中世の面影を持つケルン大聖堂を完成させようとする機運が一気に盛り上がります。
折もおり、1814年には、失われていたケルン大聖堂の設計図がケルンから200q離れたとある宿屋の屋根裏から偶然発見され、大きな話題になりました。
連邦成立後、ゲーテをはじめ文化人の呼びかけにより大聖堂の建築が再開されました。そして、40年もの工事の末、1880年、ついにそれは完成し、中世の信仰の象徴はドイツ民族の象徴ともなりました。なお、ドイツ帝国が誕生したのは1871年でした。
1996年、ケルン大聖堂は人類の創造的傑作として世界遺産に登録されました。しかしその8年後、ユネスコは危機遺産リストとして掲載しました。大聖堂の周辺に複数の高速道路の建築の計画が持ち上がったのです。都市開発か、景観の保護か、ケルン市は高速道路建設計画の縮小を決定しました。さらにその周辺の建物の高さの制限を付けたのです。
2006年、大聖堂は危機遺産リストから外されました。 |
ケルンへ
自分の足で歩くのもそれなりに面白さがありますが、今日はケルンとリンブルクの観光を前もって、日本から頼んで置きました。4名以上集まれば催行すると書かれていました。
今日は朝からすごい雨です。とりあえず、駅前の旅行社まで行ってみましたが、参加希望者は私たち2名だけのようでした。
どうなるのかと思っていたら、2名でも出発するそうです。
車はベンツの少し大きなバンタイプの車で、非常に静かな高級車でした。どうも、ドライバー個人の車のようで、乗客が2名でもペイするようになっているのでしょうか。しばらくすると、大雨が小雨に変ってきました。
約2時間半ぐらいでケルンに到着です。ライン川からケルン大聖堂が見えます。
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ケルン大聖堂と旧市街
大聖堂を上から見ると十字架がはっきりと見えます。(Google Mapより)
大聖堂正面
その高さは157mもあり、大聖堂前の広場から、全体の写真を撮るのは困難です。
塔の先端部と同じサイズの模型が広場に飾られていました。大聖堂全体が、多様に施された彫刻で飾られています。、
大聖堂側面
側面からの写真です。ここからだと全体の写真が撮れました。
現在、この大聖堂には、補修をになう技術者が60名も従事しているそうです。建設当時から、大聖堂にはいろいろの所から産出された石が使用されており、その補修にも、その地方の石が使用されています。
高い天井はステンドグラスを含む薄い壁で支えられていますが、その壁が受ける圧力を建物の外に突き出したアーチと柱で受け止めています。 |
大聖堂内部
荘厳なゴシック様式の聖堂の内部でその高さは43mもあります。
大聖堂の中には、このような礼拝堂が7つもあります。
十字架礼拝室(ゲロ大司教の十字架) 970年頃製作
この木の十字架はゲロ大司教が寄進したもので、等身大の彫刻としては現存するヨーロッパ最古の十字架です。後の時代の磔け像のモデルになったそうです。キリストが、いま亡くなったばかりの、人類を開放する救世主として表現されているそうです。現在は、大聖堂の聖遺物の一つになっています。 |
この柩の中には東方の三博士の遺骨が納められています。聖遺物を納めた黄金の柩としては世界最大だそうです。 |
聖母マリアの礼拝室
市守護者の祭壇です。1442年頃シュテファン・ロッホナーの作品です。元市庁舎礼拝堂から移されました。
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左は、「ケルン市の守護者たち」
シュテファン・ロホナー作。(1445年)
聖母マリアの両脇に礼拝する三博士が描かれています。
三博士の礼拝はキリスト教画家や彫刻家が好んで取り上げるテーマだそうです。
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ステンドグラス
大聖堂の壁一面には、ステンドグラスが埋め込まれています。そして、今も中世のステンドグラスの輝きをそのまま映し出しています。それまで、聖堂の壁は壁画で覆われた薄暗いものでした。ゴシックはそれを大きな窓とステンドグラスに置き換えました。それにより、壁自体が発光し、自分の力で輝いているような光の壁が実現したのです。
中世のステンドグラスは透明度が低く表面には凹凸があり、さらにガラスには気泡や不純物が多く含まれていました。それが大聖堂の美しさを増しているのです。
戦争による大破壊後の修復には昔ながらの技術がそのまま使用されています。
今も常時、多くの技術者によりステンドグラスの修復が続けられています。
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バイエルンの窓
1846年〜48年制作に製作され、バイエルン王ルードビヒ1世が奉納したものです。大聖堂の南のステンドグラスは戦争で完璧に破壊され、2007年、ドレスデン生まれのゲルハルト・リヒターの格子型の作品が飾られています。
美しいステンドグラスには驚きです。
地下の博物館
地下は大聖堂の博物館となっています。時間がなかったので入場は割愛しました。
ここにはエレベーターがあり、大聖堂の上に登ることもできます。
旧市街の散策です。中世の面影をそのまま残しています。
ケルンとデュッセルドルフを結ぶ観光船が出ているようです。
ライン川の水量は、今日の雨のためでしょうか、だいぶ多くなっているようです。
昼食後、少し時間があったので、博物館に入ってみました。
2世紀ごろに作られたと思われるローマ時代の住居の1部が地下で発見され、それがそのまま博物館になっています。
そのほか、1世紀から5世紀にかけてのローマ時代の遺跡の出土品や美術品が展示されています。
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前の大戦での被害が少なく、中部ドイツ独特の木組みの家が数多く残っています。
曲がりくねった道を登って行くと大聖堂が現れます。
大聖堂
この大聖堂は13世紀前半のロマネスク様式からゴシック様式に変る過渡期に作られました。
外観はライン川流域に多くあるロマネスク様式の教会の特徴を備えています。
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4日目 ヴュルツブルク観光(レジデンツが世界遺産)
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ヴュルツブルクはロマンチック街道の北の起点にもなっています。
ICE特急を利用するとフランクフルトから約1時間で到着します。
この街の歴史は古く、8世紀にさかのぼります。街にはバロック様式をはじめいろいろな様式の建築物がたくさん残されています。
1796年にここで生まれ、医学を学んだシーボルトは、鎖国中の日本で、長らく医師として働いていました。 |
ドイツで鉄道の切符を買う場合、日本の郵便局や銀行と同じような番号札を取り、自分の番が来るのを待ちます。
順番が来て窓口に行き、二日後に行くミュンヘンへの往復切符と今日のヴュルツブルクの往復切符を買いたいと言ったところ、パスポートの提示を求められ、25ユーロを払うと、25%割引優待を受けられ、その権利は2か月間使えるとのこと、その方が有利なので、割引優待券を購入しました。この券は列車に乗るとき、常時持っている必要があるとも言われました。
フランクフルトの駅舎の天井は非常に高く丸い形をしており、ドイツ鉄道の雰囲気を醸し出しています。いよいよ今日からドイツ鉄道の旅を楽しみます。 |
中央駅からマルクト広場まで歩いてゆきました。時々、雨が降ってきます。
マリエンカペレ(聖マリア礼拝堂)
マルクト広場の北に建つ後期ゴシック様式の教会です。
入り口にはリーメンシュナイダーの傑作、アダムとイブの彫像が飾られています。
マリエンベルグ城に向かって歩いてゆくとマイン川に出ます。このマイン川はかなり湾曲を繰り返しながらフランクフルトへと続いています。このところの大雨で、だいぶ水量が増えているようです。
アルテ・マイン橋からはマリエンベルグ城が丘の上に見えて来ます。
この街を一望できるマリエンベルグ城は代々の領主でもあった司教の住まいでした。
16世紀ごろ、ドイツでは幾つもの都市の間で地域の覇権を巡る戦争が繰り広げられていました。そのため、要塞は高台に作られ、街を統治する司教はそこで暮らしていました。
それらの戦争により、ドイツの都市は荒れ果て、衰退し、また、民衆にとっては苦難の時代が続いていました。
戦乱の嵐は、18世紀になるまで吹き荒れました。しかし、その嵐が静まると、司教は丘を下り、街中に宮殿(レジデンツ)を作りました。 |
マリエンブルク城
橋の麓にお城までの地図が描かれていました。一応、それをカメラに収め、それを時々見ながらお城に向かったのですが、どうも道を間違え、だいぶ遠回りしてしまったようです。
時々、雨が強くなります。とにかく、城に向かって登ることにしました。何度も石垣の中のトンネルをくぐります。
ここのお城の石垣は日本のお城と異なり直線形状で組まれています。美しさも求めた日本の城とは違うようです。 |
お城からはマイン川とその向こうの市街地を一望できます。 素晴らしい街の景色です。
まだ、入り口が何処なのか分かりません。城を一周すればどこかにあるのだろうと判断し、ぐるっと回ってみました。
少し歩くと、入り口が現れ、城の中に入ってみました。観光客がだれも居ないのが不思議です。
城の博物館もあるようですが、鍵がかかっていて入れませんでした。
遠くにケベレ巡礼教会が見えます。この教会は1748年、レジデンツを設計した宮殿建築家バルタザール・ノイマンによって設計によって建設されています。
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城の一角から遠くにブドウ畑が見えます。マイン川に沿って開かれたビュルツブルクとその周辺の地域は、ワインの生産地としても知られています。日当たりのよい斜面はブドウの栽培として適しているのです。
ビュルツブルクの人たちは今でもワインを薬として飲んでいるそうです。 |
城を出てだいぶ降りると今朝来た入り口の門に出ました。今度は道を間違えずにマイン川の方に歩いて行けました。
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アルテ・マイン橋
雨がやみ日がさしてきました。この橋の欄干には12体の聖人像が立っています。
天気が良くなってきたので、もう一度写真を撮りました。橋からは今見てきたマリエンブルク城が見えます。y
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橋を渡ると向うに大聖堂が見えます。今日の昼食はソーセージです。ベンチに座って食べました。
大聖堂
11〜12世紀に建てられた、ドイツのロマネスク教会を代表する大聖堂です。第二次世界大戦で破壊され、その様子が写真で示されていました。
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リーメンシュナイダーの手になるシェーレンベルグ大司教の像です。
大司教の姿が精密に刻まれています。 |
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レジデンツ 司教館(世界遺産)
内部を見学しようとしたら、なかなか入口が分かりません。どうやら正面が入り口のようです。ただし観光客は全くいません。近づいてみると、入り口と書かれた小さなドアがあります。どうも締っているようです。家内が力いっぱい押したところ、ようやく開きました。
中に入るとかなり暗くひっそりとしています。しかし、チケット売り場という看板を見つけました。どうやら開いているようです。
しかし、中に入ると絢爛豪華なバロック建築の広間が広がっていました。
残念ながら写真は禁止でした。ドイツで写真禁止は珍しい事です。
バロックとはポルトガルの真珠職人がゆがんだ真珠に名づけた言葉でした。後に、うねるようにくねった曲線を持つ室内の空間と、溢れるばかりの装飾をほどこした建築や芸術の様式をバロックと呼ぶようになったそうです。
内戦の嵐が過ぎ去ったあと、このレジデンツは1720〜44年に大司教の宮殿として建てられました。
もはや、丘の上の堅固な要塞は必要とされなくなったためです。
この時の司教はヨハン・フリップ・フランツでした。司教はこの地方の領主でもあり、また、伯爵でもありました。
司教は豪華で華麗な宮殿を作るべく、ボヘミアからやってきた若干32歳の、まだ無名の建築家バルタザール・ノイマン(1687-1753)を建築の責任者に抜擢し、イタリアやフランスに留学させ、当時の最先端の建築技術や芸術を学ばせました。
建築がはじまって20年、ノイマンはその能力をいかんなく発揮し、素晴らしい宮殿を完成させます。
このレジデンツを見たナポレオンはヨーロッパで最も美しいレジデンツだと言い、ハクスブルク家の女帝マリア・テレジアは、これこそ宮殿中の宮殿だと言ったそうです。
特にこのレジデンツを有名にしたのはとてつもなく広い階段の間で、天井の幅は18m、長さは33mもあり、そこに描かれたフレスコ画はベネチアのフレスコ画化ティエポロの作で世界最大級だそうです。
当時、この支柱の無い広い天井画は崩壊してしまうと、当時の建築学会の重鎮たちは激しく攻撃しました。しかし、司教はこの部屋で大砲を打っても大丈夫だと言ったそうです。
第二次世界大戦でビュルツブルクの市内の建物は崩壊してしまいましたが、この階段室はイギリス軍の空爆によっても壊れなかったそうです。
室内は戦争で大破してしまいましたが、現在はきれいに修復されています。
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階段の間
内部は写真禁止ですので、下の写真はチケット買ったとき頂いた英文のパンフレットからの転載です。
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庭園
裏の庭園側から見たレジデンツも美しい姿をしています。
ビュルツブルクの駅の後ろにはブドウ畑が広がっていました。
5日目 マインツとコブレンツの観光 (ライン川の中部流域が世界遺産)
今日はマインツとコブレンツへ行ってみました。いずれの都市もライン川沿いにあり、ライン下りの町としても有名です。
なお、2006年8月、ライン川の船下りをした経験があります。 |
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ライン川
全長は 1,233qで、ドイツを流れるのは698kmです。
源流はスイスアルプスのトーマ湖で、この川はスイスとオーストリア、ドイツとフランスの国境を作り、オランダへと流れて行きます。
ドイツでは、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、クレーヴェなどを通ります。
ドイツでは、古来からヨーロッパを貫く大動脈として、人と物と文化が行き交いました。
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今日訪れる地域は世界遺産として登録されています。
世界遺産 ライン渓谷中流上部
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世界遺産に登録されているのはリューデスハイムとコブレンツ間の65qです。
中世時代、ある領主が川を行き来する船から通行税を取っていました。
この通行税に目をつけ、近隣の諸侯は競ってライン川沿いに進出しました。
14世紀の末には税関の数が60にも達しました。
通行税を払った船には安全な運行を保証しました。払わないものには武力を行使し、船員を牢獄に閉じ込めたりもしました。
川沿いの古城はそういった税関としての役割を負っていたのです。
現在、世界遺産としての景観を保つため、この流域には橋が一つもありません。 そのため、渡し船が活躍しているそうです。なお、遺産登録は2002年でした。 |
マインツ観光
コブレンツに行く途中にあり、途中下車して足早に観光してみました。
マインツはライン川とマイン川の合流点であり、古くから交易上重要な場所に位置し、8世紀からはドイツで最も重要な宗教都市として栄え、「黄金のマインツ」と称えられました。近代印刷技術の発明者であるグーテンベルグの生地でもあります。 |
幸い今日は晴天です。中央駅からザンクト・シュテファン教会の方へ歩いてゆきました。
ザンクト・シュテファン教会
大聖堂も手がけたヴィリゲス大司教が990年に起工しました。しかし、第二次世界大戦で破壊され、現在の建物は戦後に再建されました。
この教会のステンドグラスはマルク・シャガールによるものです。ブルーを基調にして聖書を題材に作られています。1978年〜1985年に製作、設置されました。 |
ゲーテンブルク広場
印刷技術を発明したゲーテンブルクの名前を付けた広場です。ここから大聖堂が見えます。
大聖堂
この大聖堂は大司教ヴィリゲスによって975年に起工されています。ロマネスク様式とゴシック様式の併せ持ち、ケルン、トリアーと並ぶ、ドイツで3本の指に入る大聖堂だそうです。
ここのステンドグラスの美しさには、ただただ、言葉もありませんでした。 |
マインツからコブレンツへ
ライン川の両側に鉄道が走っています。こちら側がDBで、向こう側を走るのは私鉄だそうです。
案内書を見ると、ライン川を見るには列車の右側に座るのが良いと書かれていました。
もっとも、列車はかなり空いていたので、席の移動は自由でした。 |
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左はブファルツグラーフェンシュタイン城です。ルートヴィヒ四世が14世紀に作りました。
この城もライン川を通行する船から通行税を徴収する目的で作られました。
以来、洪水や冬季の流氷により幾度となく破壊されては改修されています。
19世紀、通行税が廃止された後は信号灯として使用されていました。
中州に作られた城としては唯一で、一般には両岸の少し高いところに作られています。 |
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コブレンツ観光
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コブレンツはライン川とモーゼル川が合流する地点に位置し、ヨーロッパの水上交通の要所として古くから発展しました。
コブレンツとはローマ人が合流点(コンフルエンテス)と呼んだことから来ているそうです。
合流点はドイチェス・エッグと呼ばれ、中央駅から歩くと40分以上掛かるようです。
バスを探すのが面倒なので、タクシーを利用しました。 |
ドイチェス・エッグ
タクシーを降りると遠くに合流地点らしいところが見えます。ドイチェス・エッグとはドイツの角を意味しています。ドイツ人はライン川を父なるライン川、モーゼル川を母なるモーゼル川とよぶそうです。
ここには23mの高さの台座の上に、高さ14mのドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の巨大な騎馬像が立っています。 |
ラインロープウエイ
ドイチェス・エックスの近くに乗り場があり、ライン川の上を渡って、エーレンブライトシュタイン城塞まで行くことが出来ます。私たちも乗ってみました。
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小高い山にそびえる城で、入ってみると、その広さには驚きます。
この城は11世紀にトリーア大司教の所有になり、改築や拡張を繰り返し、16世紀には堅固な装備も備え、立派な城塞になりました。 |
再びロープウエイで降りました。私たち以外に乗客はいませんでした。
帰りもタクシーを拾おうと思ったのですが、流しのタクシーはありません。タクシースタンドという看板も見かけましたが、タクシーは全くありません。仕方がないので駅に向かって歩いてゆきました。結構疲れていましたが、結果的には駅まで歩くことになりました。ゴルフプレーに比べれば、大したことはありません。
お蔭でコブレンツの旧市街を堪能できました。 |
再びコブレンツからマインツへ戻りました。
今度は列車の左側に座りました。帰りの列車も空いていました。
ローレライ
歌で知られたローレライですが、水面から130mほど突き出した岩山です。 この岩山はライン川の中で一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下には多くの岩が潜んでいたため、航行中の多くの船が事故を起こしました。今は、幾度にも亘る工事によって、大型船も航行できる川幅まで拡げられています。
列車の速度は速いので、うっかりしていると見落としてしまいそうです。
2,006年8月、ライン川の舟下りをした時見たこの光景を思い出し、写真に収めました。 |
再び、ブファルツグラーフェンシュタイン城を見ることが出来ました。船ならともかく、列車なのであっという間に過ぎてしまいました。
マインツからフランクフルトへはたくさんの電車が出ていました。 まだまだ、明るいうちにホテルに戻りました。
6日目 フランクフルトとからミュンヘンへ移動
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フランクフルトからミュンヘンへは1時間に1本、それも、同じ時刻に出ているので覚えるのが簡単です。
ただ、いろいろなルートがあるようです。
私たちの電車のルートは時刻表を見ると左の図のようでした。
乗車時間は3時間18分です。 |
駅には列車の時刻表とプラットホームの番号が示されています。
ドイツでは、日本と同様、かなり前からプラットホームと出発時刻が決まっているようです。フランスを旅した時は、出発10分ぐらい前にならないと場所が分からないので困ったことがあります。
フランクフルト出発は 9:54 でミュンヘン到着は 13:12 です。今日でしばらくフランクフルトとはお別れです。
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ICE特急
座席指定の列車ですが、出入り口に一番近い席のため、荷物を手元に置くことが出来ました。
列車での移動で一番心配は手荷物です。もし無くなったらかなりのトラブルになります。 |
無事、ホテルにチェックインしましたが、まだ、十分時間があります。とりあえず、市内見学に出かけました。
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ミヒャエル教会
1540年のイエズス会設立後、ヴィルヘルム5世が反宗教改革の一環として建立させたイエズス会の教会です。中には大天使ミヒャエルを讃えて「悪魔と戦う聖ミヒャエル」の祭壇画が飾られています。
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フラウエン教会
二つのネギ坊主の様な頭の塔は遠くからも見ることが出来て、ミュンヘンのシンボルになっています。
北塔は99mで、南塔は100mの高さがあります。
第二次世界大戦の破壊のためでしょうか、ここのステンドグラスも現代的でした。
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旧市庁舎
一度見たら忘れられない特徴のある市庁舎です。
市庁舎広場からレジデンツの方へ歩いてゆきました。
バイエルン州立歌劇場やレジデンツがある広場に出ました。
帰りも歩きましたが、ホテルまで歩いても20分ほどでした。
7日目 ミュンヘン市内観光
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ホテルはミュンヘン中央駅から歩いて2分程度の所にあります。
古都ミュンヘンはドイツで第三番目の大都市ですが、町の発展は12世紀の頃から始まりました。ザルツブルクなど塩の産地とドイツ北部を結ぶ交通の要衝にあります。
ヴィッテルスバッハ家の居城レジデンツがおかれ、華やかな宮廷文化が花開きました。
ローマの古典芸術を愛したバイエルン王ルートヴィヒ1世(在位1825-1848)は幾つもの博物館や大学を設立し発展させています。 |
まずはレジデンツから観光開始です。
ホテルからレジデンツまで、昨日歩いたところを再び歩いてゆきました。朝の8時半ごろですが、昨夜の賑わいは嘘のようにひっそりとしています。
市庁舎前に来ると何やらお祭りがあるようで、人だかりが出来ていました。 |
レジデンツの観光です。まさに一番乗りでまだ誰もおりません。
レジデンツは、バイエルン王家のヴィッテルスバッハ家の本宮殿です。14世紀後半から建設が始まって以来、度重なる拡張により内部は大変複雑な構造になっています。
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中に入るとこの凸凹が特徴的な装飾が置いてありました。このような芸術をグロテスク様式というそうです。
現在使用されているグロテスクとは少し意味が異なっています。
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華麗な丸天井が印象的なアンティクヴァリウムというホールはレジデンツの一つの目玉だそうです。 |
レジデンツの中には博物館が設置され、数々の豪華な部屋や広間、宝物の展示室などが続きます。
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歴代のヴィッテルスバッハ家の人々の肖像画が飾られていました。
当時、宮殿の壁には絨毯が飾られていました。絵画よりもはるかに高価だったそうです。
絨毯は、王が旅をする時には、一緒に持って行ったそうです。当時の旅はかなりの日数だったそうです。
また、絨毯は断熱材としても働き、部屋の温度を快適に保つのに役立つのだそうです。
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たくさんの宝物の陳列が続きます。
レジデンツにも礼拝堂が作られていました。二階から礼拝堂を覗くことが出来ます。
通常、ここでコンサートが開催されているとのこと。明後日の夜、私たちもここでのコンサートを聴く予定になっています。
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素晴らしい部屋が続きます。
隣の部屋に行くには、前の部屋を通らないと行けません。ヨーロッパの宮殿では一般にこれと同じように、幾つもの部屋が繋がっています。でも、すべての部屋は一人のための部屋になっているから問題ないのだそうです。
子供が増えると宮殿を建て増して、幾つものつながった部屋を作るのだそうです。そのため、宮殿の改築は頻繁に行われたそうです。 |
レジデンツを出ると、黄色いテアティーナー教会と、2匹のライオンと二人の将軍が立つ将軍堂が見えます。
その後、市庁舎の方に歩いてゆくと、有名なビアホールがあり覗いて見ました。まだ昼前ですが、ビールを飲む人で一杯でした。 |
再び、市庁舎の前に出ました。何やら民族衣装を着た人たちで賑わっていました。
どこの民族衣装かは分かりませんが記念写真を撮りました。
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天気があまり良くありません。そのため、午後は美術館を見学することにし、ミュンヘンで有名なアルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークへ行ってみました。なお、アルテは古いを意味し、ノイエは新しいを意味しています。 |
アルテ・ピナコテーク
ヴィッテルスバッハ家が集めた15〜18世紀の名画が並んでいます。
1836年に創立され、以来、ルートヴィヒ1世の命により一般に公開されて来たそうです。
ドイツの美術館は総じていつも空いています。幾つもの良く知られた名画があったので写真に収めました。写真に撮っておかないとすぐに忘れてしまいます。 |
主な写真を下に載せました。
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アルフレッド・ジューラー
四人の使徒
1526年
左には、聖ヨハネと聖ペテロ、右には、
聖パウロと聖マルコが描かれています。 |
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アルブレヒド・アルトドルファー
イッソスの戦い、アレクサンドロス大王の戦い
1529年 |
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聖バルトロマイ祭壇画家
左から福音書記者聖ヨハネと聖女マルガリタ、
聖女アグネスと寄進者、聖バルトロマイ、
聖女チェチリア、聖ヤコブ(小)と聖女クリスティナ
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エル・グレコ 「聖衣剥奪」 |
Hubert Robert |
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖母子」 |
Louis-Rolland Trinquesse |
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ラファエロ・サンティ 1483-1520 盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家 |
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垂幕の聖母
1513年〜14年頃
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カニジャーニ家の聖家族
1505年〜06年頃 |
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テンビ家の聖母
1507年頃 |
フェルディナント・ボル Ferdinand Bol 1616-1680 オランダの画家、銅版画工。 |
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自画像 |
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ワイン商会のギルドの長老たち |
ノイエ・ピナコテール
ここには19世紀から20世紀にかけての作品が展示されています。
よく知られて名画がたくさん続きます。まさに驚きでした。
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 オランダ出身でポスト印象派の画家。
パブロ・ピカソ 1881-1973
スペインで生まれフランスで制作活動をした画家。キュビスムの創始者として知られる。
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Madame Soler
1903年 |
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母と子供
1921年
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フルーツボールとマンドリン
1924年 |
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椅子に座った婦人
1941年
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Carl Rottmann 1797-1850 ドイツ人の画家
Claude Monet |
Cart Blechen |
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Edgar Degas |
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Alfred Sisley |
Camille Pissarno |
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Auguste Renoir |
Edouard Manet |
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Henri Matisse |
Jean-Francois Millet |
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Paul Cezanne |
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Johann Christian Reinhart
Joseph Wenglein 一枚の写真を部分的に拡大してみました。
Paul Gauguin |
Auguste Rodin |
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Fritz von Uhde |
Casper David Friedrich |
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Peter von Hess |
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その他
外に出ると雨が強くなっていたので、美術館前に停まっていたタクシーでホテルまで戻りました。 |
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