京都、奈良、世界遺産見逃し観光

2015年7月22日~25日

 京都奈良の観光は桜の時期か、紅葉の時期が多いのですが、最近、明治日本の産業遺産が世界遺産に指定され、それはなんと8地区、23カ所にもなっていました。
 今まで、京都奈良へは何度も出かけていますが、どこが世界遺産に指定されているのか、気にしたことはありませんでしたが、調べてみたら、まだ何か所か行っていない所があることに気づきました。
 ちょうど4日間、家内も私も時間が取れたので行ってみました。

大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
   
 再生速度は右下の三つの星を押すと早くしたり遅くしたりすることが出来ます。

観光内容
1日目 自宅から京都へ
2日目 京都観光 野宮神社、天龍寺、高山寺、上賀茂神社、醍醐寺
3日目 奈良観光 法華寺、宇和奈部古墳、正倉院、東大寺、法隆寺、法起寺、興福寺、
4日目 平等院、宇治上神社参拝後自宅へ


      
1日目 自宅から京都へ

 午後から猛烈な雨になり、京都到着は3時頃でしたが、観光はしませんでした。ホテルの宿泊には桂川での鵜飼見学も含まれていましたが、最近の大雨で、一週間前から、鵜飼見学は中止になっているとのことでした。
 ホテルはJR嵯峨嵐山の駅前でした。



    
2日目 京都観光

 ホテルの駐車場に車を停め、近くの社寺を歩いて回ってみました。



    
野宮神社(ののみやじんじゃ)

 野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われています。ここの黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの風情を伝えているそうです。



竹林小路

 野宮神社から天龍寺の方に歩いてゆくと、この道が現れました。
 京都を代表する風景の一つです。


     
天龍寺(世界遺産)

 1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が創建しました。後醍醐天皇は、幼少期にこの地で過ごしていました。
 1343年には、七堂伽藍が整い、京都五山第一位の寺格を誇りました。
 天龍寺は創建以来、8回もの大火に見舞われ、現在の堂宇の多くは明治期に再建されています。
 1,994年、世界文化遺産に登録されています。



 北門から入ると、ずっと下り坂が続きます。しばらく歩くと大方丈と曹源池が現れます。



 大方丈と曹源池です。


 右側の建物は書院です。

 

 こちらが正門ですが、そこを一旦出て追加料金100円を支払うと、大方丈に入ることが出来ます。
 大方丈と書院、多宝殿は廊下で結ばれています。
 方丈とは禅宋様式伽藍の一つで住職の居室になっています。
 中央に祭られている本尊は藤原時代に作られた釈迦如来像で、八回の大火災にも蒙らず、現存されています。


 表面での反射が強くて良くわかりませんが、雲竜図で、明治時代に描かれています。
 長い廊下を上ってゆくと、多宝殿に出ます。
 中央には後醍醐天皇の御尊像が奉安されています。
 こちらが正門です。小雨のためか、参拝者はまばらでした。



 桂川の方へ歩いてゆきました。



 川はこの一週間の大雨のため、流れはかなり激しく、船による川下りは中止とのことでした。




高山寺(こうさんじ、こうざんじ) 世界遺産

 まだ行っていない世界遺産なので、参拝に行きました。

 京都の中の寺院では比較的山の中にあります。
 最初のお寺は774年、光仁天皇の勅願によって開創され、鎌倉時代、復元、中興開山し、寺号を「高山寺」と改称しました。
 応仁の乱で堂坊の多くが消失しましたが、江戸時代に復興されました。しかし、明治初めの廃仏毀釈で衰えましたが、昭和34年、国宝や重文の収蔵庫が建設されています。
 バスが数台停まれる立派な駐車場がありますが、参拝者は私たち二人だけで、他には誰もおりませんでした。
 裏街道を上ってゆくと、国宝石水院に出ます。
 入り口に写真撮影禁止の貼り紙があったので、じゃあ、入るのは止めたと入り口の係員に言ったら、撮るだけなら結構ですよとのこと、従って、ここに掲載することは出来ませんが、この建屋は国宝になっており、中にはたくさんの国宝が置かれていました。
 この建物は後鳥羽院より学問所として賜ったもので、簡素な中に優雅さを保ち、きわめて機能的な構造で作られ、生活の知恵の結晶ともいわれる住宅建築の傑作だそうです。
 高山寺にある国宝・重文の数は1万点を超えるそうです。
 撮った写真は掲載できないので、パンフレットからのものです。
 石水院には、1mほどの巻紙が展示されており、それが4本全てが展示されていました。
 実際の作品の長さは1巻で12mもあるそうです。平安時代の12世紀後半に描かれ、作者不詳ですが、猿やカエル、ウサギなど11種類の動物がまるで人物のように描かれ、弓を引いたり、相撲をしたり、お経を唱えたり、仏になったり、本当に面白い絵です。
 NHK総合テレビの趣味どきっ 国宝に会いに行く、全8回シリーズの第7回目に詳しく紹介されているので、かなり貴重な国宝なのでしょう。
 これ以外にもたくさんの国宝が展示されていました。



 開山堂


 御廟と書かれていたので、階段を上ってみました。立ち入りは禁止でしたが小さな御廟でした。



 さらに坂を上ると金堂に出ます。
 帰りは金堂道をから表参道を通り駐車場に戻りました。




上賀茂神社 (世界遺産)

 この神社も今回が初めての訪問でした。

 鴨川の上流にあります。正式名称は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。
 678年の天武天皇の時代に現在の御殿の基が整えられました。
 本殿は江戸時代の1863年に造替されていますが、平安時代の佇まいをそのまま残しています。
 上賀茂神社は京都で最も古い社と言われており、その起源は2600年以上も前に遡るそうです。
 



 神社へ入るには、門をくぐって、かなり広い前庭を通って行くことになります。
 駐車場からはこの前庭を通らずに神社に入ることが出来ます。



 門を入ると、細殿・立砂が見えてきました。
 この立砂(たてずな)は上賀茂神社独特の形をしています。
 立砂の後ろのある建物が細殿です。 



 午前中見て来た天龍寺や高山寺に比べて、そのあまりにも違う建物に圧倒され、なにか、目がくらくらしてきました。



 社の内部に入るには、肩にこのような紙を掛けなければなりませんでした。

 

 この階段を上り、中に入ると、お坊さんによるこの神社の説明がありました。また、内部の神社の説明もありました。
 内部は写真禁止でした。
 内部には、このような屋根の建物がありました。ひらがなの「へ」の字のような屋根を持っています。




醍醐寺(世界文化遺産)

 このお寺は初めての訪問でした。

 醍醐寺は京都の中央から山一つ越えた所にあります。
  醍醐寺は876年に弘法大師の孫弟子、理源大志・聖宝が創建したのが始まりです。以来、薬師寺、五大堂、釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建てられ、大伽藍が完成しました。しかし、応仁の乱で五重塔を残してほとんどが消失しましたが、秀吉と秀頼により、再建されています。
 秀吉は桜をたくさん植えて、正妻以下、多くの女性を連れて花見をしたのは有名な話です。秀吉に続く正妻以下の並び順に苦労したそうです。
 




醍醐寺配置図

 醍醐寺は大きく分けて上醍醐と下醍醐に分けられます。
 上醍醐は女人堂の奥にあり、国宝薬師堂に行くには約1時間、山道を歩く必要があります。簡単には行けません
 今回は女人堂の手前で引き返しました。
 下醍醐は三宝院、伽藍、霊峰館の3つの施設があり、各々入るのに入場券が必要でした。
 上の図で見ると、上醍醐の薬師寺も近くに見えますが、実際の位置は、左の地図のようにかなり険しい山道を1時間も登る必要があるようです。
 昔の人は足が丈夫だったのでしょう。
 上醍醐の薬師寺は国宝になっています。




霊宝館 

 国宝・重文などを保管、展示するための立派な建物が作られていました。
 霊宝館はかなり広く、国宝や重文だけでも7万5千点以上もあり、日本の仏教史や美術史上貴重な資料がたくさん収蔵されているそうです。
 春のしだれ桜は、このお寺の目玉ですが、驚いたことに、私たち以外には誰もいませんでした。桜の時期にはかなり混雑するようです。



 下の8枚の写真は頂いたパンフレットからです。国宝が幾つもあります。




三宝院と庭園

 建物の中に入り、庭を眺める庭園です。建物内部、庭などほとんどすべて撮影禁止でした。すぐに忘れてしまうので、自分で撮った写真の下に三宝院のホームページから転記しました。
 ここも驚いたことに観光客は誰もいませんでした。
 三宝院に靴を履いて上がると、二人ほどの見張りのおばさんがおりました。どこか写真を撮ることが出来る所はないかと聞いてみましたが、写真はお庭も含め、いっさい禁止だそうです。
 中を散策しましたが、特に何もありませんでした
唐門(国宝)


 朝廷からの使者を迎える時にだけに扉を開いたそうです。
 平成22年7月、約1年半をかけて、往時の壮麗な姿に修復されました。
 桃山時代の気風を今に伝えています。


 下の写真は、醍醐寺のホームページ 
https://www.daigoji.or.jp/garan/sanboin_detail.html 
からの転記です。良く出来ているホームページです。



 山の方向に歩いてゆくと、西大門が現れます。

 通称、仁王門と言われます。
 1605年、豊臣秀頼が再建しています。
 仁王像は平安後期の1134年、仏師勢増・仁増によって作られています。



参道

 さらに長い参道が続きます。



金堂(国宝)

 醍醐天皇の御願により926年に創建されています。
 その後、応仁の乱により、2度ほど消失しましたが、現在の金堂は豊臣秀吉の命により、1600年、秀頼が紀州(和歌山県)湯浅から移築し完成しています。
 この金堂は醍醐寺の中心のお堂で、安置されている薬師如来座像が醍醐寺の本尊です。
 入り口に本尊写真禁止と書かれていました。



五重塔(国宝)

 醍醐天皇の菩提を弔うため、951年に完成しています。
 高さは38mで屋根の上の相輪は13mあります。
 相輪の長さが全体の三分の一を占め、安定感を与えています。



不動堂

 堂内には不動明王を中心に五体の明王が安置されています。



真如三昧耶堂

 もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として949年に創建されていますが、1470年に焼失し、現在の建物は平成9年(1997年)に真如三昧耶堂として建立されました。



 さらに歩いてゆくと、弁天堂が現れます。弁天堂内には、音楽などの学芸や知識の女神である弁財天が祀られています。

  

 この奥は急な山道になり、上醍醐の薬師寺までは険しい山道を約1時間ほど歩く必要があるとのこと、ここで引き返し、今夜の宿、奈良ロイヤルホテルに向かいました。



     
3日目 奈良観光

 法華寺町


 法華寺町は、光明皇后ゆかりのまちと言われ、数々のお寺や数多くの遺跡があります。
 泊まった奈良ロイヤルホテルから、これらの遺跡は歩いても行ける距離にありました。

 

 40年以上も前に造られた結構大きなホテルでした。
 ここもやはり、中国人がたくさん泊まっていました。



法華寺

 大元は光明皇后発願の総国分尼寺として創められました。745年、藤原不比等の邸宅を光明皇后が先帝のために改めて伽藍としています。
 本堂には木造十一面観音菩薩立像(国宝)などがあります。



宇和奈部古墳

 この辺りには大小60もの古墳がありますが、この古墳はその東端にあります。その周辺は、歩いて通れる程度の細い道で囲まれています。
 この写真は幹線道路わきの駐車場から撮ったものです。



正倉院(世界遺産)

 中学生の頃、教科書で、正倉院について学んだことがありますが、まだ、見たことが無かったのでどこにあるのかもかねて訪ねてみました。
 また、以前、三月堂を訪ねた時、これらの仏像は、東大寺ミュージアムに移転されると書かれれいました。
 今回は新しく出来た東大寺ミュージアムを見学してきました。


 校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫で、聖武天皇、光明皇后ゆかりに品々をはじめ、天平時代を中心とした多数の美術後継品が収蔵されていました。現在、これらの品々は、コンクリート造りの建屋に移管されています。
 通常は非公開ですが、年に40日ほど、奈良国立博物館で、正倉院の70点程度が公開されているそうです。
 ネズミなどの小動物が登れないようにした工夫だと習ったことがあります。


 

 東大寺大仏殿の裏側から東大寺に歩いてゆきました。通常は正面から入るのですが、東大寺大仏殿の後ろの公園を歩いたのは初めてでした。


 大仏殿の中に下のような数学問題が飾られていました。さすが、日本です。海外で、このような数学問題が掲げられている教会などを見たことがありません。



 東大寺の数々の宝物を永久に保管できるよう、あたらな施設が作られ、2011年10月10日より公開されています。
 私にとっては、初めての見学でした。



 内部は写真禁止なので、入場するとき頂いたパンフレットからです。
 三月堂から移管されて来た国宝、日光、月光菩薩などが、多数、パンフレットにも記載されていました。




法隆寺


 奈良に来たら、出来るだけ行くようにしているお寺です。
 今回も拝観してきました。



大宝蔵院

 百済観音などの秘仏を安全に保管できるよう作られ、平成10年から公開されています。


百済観音像

 大宝蔵院の目玉です。
 頂いたパンフレットからです。



 さらに歩いてゆくと、夢殿が現れ、その奥に、中宮寺があります。



中宮寺

本尊菩薩半跏像 
   (如意輪観世音菩薩)
 国宝

 写真はパンフレットより

 このお顔の美しさは、古典的微笑みの世界的傑作で、ダビンチのモナリザに匹敵すると評されています。
 半跏思惟像とは「考える像」のことで、この像は飛鳥彫刻の最高傑作であるとともに、日本の美術史上の最高傑作とも言われています。
 半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げて、その指先をほのかにほほに触れています。

 なお、中宮寺 如意輪観世音菩薩でインターネット検索すると、数百以上の写真が出てきます。
 仏像を愛する人が多いことがわかります。


天寿国曼荼羅繡帳 (国宝) パンフレットより

 聖徳太子が48歳でお亡くなりになった後、それを悲しんだ御妃が、太子様がお過ごしになってる天寿国の様子を描かせた刺繍で、中宮寺に置かれているのは、そのレプリカだとこの繡帳の下に書かれていました。



 法隆寺の良さは、この長い道路にもあります。飛鳥時代がしのばれます。



法起寺(世界遺産)

 まだ行ったことのない世界遺産なので訪ねてみました。

 聖徳太子は、法隆寺、四天王寺、中宮寺などを建立していますが、このお寺も聖徳太子建立七ヶ寺の一つと数えられています。
 


 着いたら、入り口がわかりません。駐車場もありません。仕方がないので、近くの工事現場に車を停め、歩いて行きました。
 観光客は一人もおりませんでした。
三重塔(国宝)

 高さ23.9mの塔婆で、706年に建立され、我が国最古の三重塔として有名です。


聖天堂

 この場所にはもともと金堂がありました。この聖天堂は江戸時代の文久3年(1863)に建立されています。


講堂

 江戸時代の初期、元禄7年(1694年)に再建されています。
 十一面観音菩薩立像が安置されています。
 お寺の入り口の受付のある建物です。かなり崩れかかっています。
 参拝者が少ないので、修理も出来ないのでしょうか。



興福寺

 このお寺も、奈良に来たら出来るだけ参拝するお寺です。
 
 国宝館の仏像の詳細な写真像は

 http://www.kohfukuji.com/property/photo/

 で見ることが出来ます。時々開いては、楽しめます。
 
 これらを見ていると、改めて、仏とはこんなにも美しいものかと感動します。お勧めしたいホームページです。
千手観音菩薩立像 (国宝) 鎌倉時代
     / 桧材 寄木造

 国宝館の中央にあり、阿修羅像の正反対側にありますが、5mを超す立派な仏様です。
 
 今回も、約10分ぐらい、この仏様の前に立っていたと思います。
 いつ行ってもそうなるのですが、不思議な力を持った仏様です。
 体中から力が抜け、何か、催眠術にかかったような感じになり、不思議と心が安らかになります。
 


興福寺 東金堂と五重塔

 東金堂の仏様にも参拝してきました。
 とにかく、今日は猛暑で、体中がおかしくなりそうです。
 先ほどの国宝館の千手観音菩薩立像によって、体中の力が抜けたためかも知れませんが、すごく疲れを感じたので、参拝後すぐにホテルに戻りました。



     
4日目 平等院、宇治上神社参拝後、自宅へ

平等院(世界遺産)

 もうすでに何度も行っていますが、今回も寄ってみました。
 平等院は1052年、関白藤原頼道によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。
 経典に描かれる浄土の宮殿をイメージした優美で軽快な建物です。



 平等院の姿は、前回来た時に比べ、すっかり化粧直しがなされ、明るくなっていました。

 
  



鳳翔館

お庭を通ってから外に出る前に、鳳翔館の中を通って出るようになっています。
鳳翔館には、たくさんの宝物が飾られています。
下の写真はパンフレットからです。



宇治上神社 (世界遺産) 

 まだ行ったことのない世界遺産なので行ってみました。恐ろしく狭い道で、駐車場もありません。ほとんど車の通行はないので、道路に車を停めたところ、すぐに巫女さんが出てきて、ここに車を停めてはいけないと言われてしまいました。
 仕方がないので、家内が運転席に座っていたままにして停車し、見学はほとんど出来ませんでした。
 巫女さんは、せっかく来たのだから、ゆっくり見て行って下さいと言ってくれました。
 この神社は平等院と二社一体の関係にあるそうです。


 見学後、まっすぐ自宅に戻りました。自宅到着は6時前でした。
 それなりに楽しんだ4日間でした。





次の旅日記に移る(国内編)

旅日記の表紙に戻る