ビジネスクラスで行く安らぎの国
 魅惑のラオス5日間

2020年2月5日~9日

阪急交通社

 東南アジアでまだ行っていない国にラオスがあり、一度行きたいと思っていました。
 ラオスは雨季と乾季がはっきりと分かれており、2月は乾期で旅行に最適だと言われています。3月ともなると暑くて見学には適さないようです。
 今回の旅は参加者全員がビジネスクラス利用を条件としており、また、成田からラオスまでの添乗員はおりませんでした。



大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
   
 再生速度は右下の三つの星を押すと早くしたり遅くしたりすることが出来ます。

 
 ラオスの国旗は、横に赤青赤、中央に白丸を配した旗。現在の旗は、1975年のラオス人民共和国成立時に制定された。赤は独立闘争で流された血の色を、青は国の豊かさを象徴しているとされる。中央の白丸はメコン川に昇る月を表し、共産主義による国の統一を象徴している。
 ラオスは南北に細長い山岳地帯の国で海に接しておらず、東南アジア最後の秘境の国とも言われています。
 国土面積は日本の本州と同じですが人口はわずか690万人と私の住む千葉県よりわずか多い程度です。
 山岳ゆえに民族は50以上もあり、最大の民族はラオ族で半分以上を占めています。言語はラオス語で宗教は仏教が主体です。
 おもな輸出品は電力,金,銅・銅製品、輸入品は車両,機械類,燃料などで、一人当たりのGDPは日本の15分の1 と世界の貧民国にランクされています。
 国境はタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、中国と5つの国に囲まれていますが、今はいずれの国とも友好的だそうです。
 なお、ラオスとタイの国境の長さは 1,750kmでそのほとんどがメコン川です。 

 

 BS11 「世界の国境を歩いてみたら」 を見ていたら、タイとラオスの国境、ラオスとベトナムの国境について詳しく 述べた番組がありました。
 下の図はその放送時の図を写したものです。
 東南アジアがまだ西欧諸国による植民地化始まる前、東南アジア全体を当時シャムと言われた現在のタイが支配していました。
 フランスがインドシナ連邦を支配し始めると、タイは自国を守るためフランスに譲歩して国境を定め、これ以上タイに侵入しないという条約を制定しました。
 しかし、1893年、フランスはタイに侵攻しフランスの属国としようとしますが、タイの北部でフランスと中国との紛争が発生し、また、イギリスもタイに攻め入りました。そのため、イギリスとフランスがタイを両国の緩衝地帯とすることに合意しました。
 その合意によりタイは独立を保つことが出来たのです。
1899年,ラオスはフランスのインドシナ連邦に編入される。
1949年,仏連合の枠内での独立。
1953年10月22日,仏・ラオス条約により完全独立。その後内戦が繰返されたが,1973年2月「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立。インドシナ情勢急変に伴って,1975年12月,ラオス人民民主共和国成立。
 当時の東南アジアの統治地図で、侵略を受けなかった国は日本とタイの1部の二か国しかありませんでした。
 なお、タイは自国の力で独立を保ったのではなく、イギリスとフランスが話し合いで緩衝地帯とすることにし、独立が保たれました。




メコン川

 国境の設定に当たってメコン川は重要な要素でした。
 中国に源を発するメコン川はミャンマーとラオスの国境を作り、またタイとラオスの国境の大半を作っています。
 ラオスの首都ビエンチャンは国境を作るメコン川に接して作られています。
 ラオスとタイの国境は1750kmもありますが、そのほとんどがメコン川で、国境を渡るには橋を利用することになりますが、ラオス-タイ間の橋はわずか4本しかないそうです。川の近くに住む住民は通常船を使用し、あたかも国境が無いかの様な生活をしています。買い物、健康診断、病院などを普通に利用しており、通貨はタイバーツを使用するそうです。もともと、国境が作られる前は同じタイ国であったため言葉の壁もほとんどないそうです。
 ただしそれは両国民にだけに許されており、それ以外の国民は税関を通り入国審査を受ける必要があるそうです。(BS11より)



1日目 成田からラオス、ビエンチャンへ

09:30 成田空港発
14:15 ホーチミン着  所要時間 6時間45分
15:45 ホーチミン発
16:40 プノンペン着  所要時間 55分
17:30 プノンペン発
19:00 ビエンチャン着 所要時間 1時間30分

 ラオスと日本の時差は2時間です。


 このところ、コロナウィルスが問題になりつつあり、マスクを付ける人が増えていました。
 今思うに、この頃はまだ個人の判断に任され海外旅行に何の制限もありませんでした。

 

 第一ターミナルの北ラウンジで朝食です。今日は何もないので朝からビールです。飛行機にお酒は付き物なのでしょうか。結構飲んでいる人がいます。
 朝早いこともあって、ラウンジはガラガラでした。

 

 
 今回は参加した全員がビジネスクラス利用となっていす。
 そのためもあり参加者は合計7名でした。
 内訳はご夫婦2組、親子連れ1組、1人参加1名でした。
 成田からビエンチャンまで、各自、自分で行く必要があります。ただし今回はかなり旅慣れた人たちばかりで問題はありませんでした。
 なお、コロナウィルスのためか、キャンセルした夫婦1組があったそうです。




ベトナム ホーチミン空港

 ホーチミンでビエンチャン行きのベトナム航空便に乗り換えます。
 到着は14:15で、出発は15:45と乗り換えにはちょうど良い時間でした。
 そのためラウンジに行くほどの時間はありませんでした。




ホーチミン発ビエンチャンへ

 乗り換えた飛行機の機種はエアバス321で座席は2席2列の構成でした。  私たちの席はたまたた最前列になりました。
 この飛行機はかなり使い古された物らしく、ビジネス席でもパソコン用ACプラグがありませんでした。
 なお、ビジネスクラスもエコノミークラスも満席でした。
 出発後カンボジアの首都クノンペンで乗降客のため50分ほど駐機します。 
 ホーチミン発  15:45
 プノンペン着  16:40
 プノンペン発  17:30
 ビエンチャン着 19:00




 機内の各種乗務員は全員マスクを付けていました。通常ではないことがわかります。


 空港で荷物を受け取りゲートを出ると阪急交通社の係員が旗をもっており、参加者7名が集まると小さなライトバンでホテルまで案内されました。
 なお、ラオスのお金の単位はキープで1円が約80キープでした。硬貨はなく紙幣のみです。
 ガイドさんが日本円もしくは米ドルからキープと交換してくれましたが、市内で米ドルを使用できるところも多いため、わずかに交換しただけでした。


 


 空港からホテルまでは約15分程度でした。かなり豪華なホテルでした。




2日目 ビエンチャン市内観光後ルアンパバーンへ

 日本のテレビは映りませんでした。すでに横浜港に停まっているダイヤモンド・プリンセス号が大きなニュースになっていました。



朝食レストラン
 かなり豪華なバイキング朝食です。

 

 部屋から外を見ると大きなビルの建設中でした。景気は良さそうです。


 ロビーもなかなか豪華です。



ロビーのバー

 朝からお酒類を飲む人も居るのでしょうか。バーが開いていました。



 ロビーの外に庭園があったので入ってみました。日本は真冬ですが、こちらは別世界です。



観光開始

 ガイドさんはかなり奇麗な日本語を話します。研修で1週間ほど日本に行ったことがあるそうです。

 今日の見学施設は左の6か所です。
 観光終了後、飛行機でルアンパバーンへ向かいます。
 ラオスの文字です。当然、読めません。


ワット・シーサケット

 1551年にセーターティラート王による建立と伝えられるビエンチャン最古の寺院です。
 現在の建物は王国時代の1818年(1824年説あり)に建設されたものです。優美な大屋根が特徴のルアンパバーン様式に対し、本堂を取り囲むように広縁風のベランダを持つビエンチャン様式のお寺です。
 ランサーン王国が分裂した18世紀以後、ラオスでは度重なる戦火に見舞われたために貴重な歴史的建造物の多くが破壊されたが、この寺院は建立当時の原形をとどめており高く評価されています。
 1837年のホー族の反乱により収蔵品の多くが略奪されています。本堂内には2052体に及ぶ仏像が並び壮観です。また回廊には3420の小さな穴が彫られ、それぞれに2体ずつの仏像が安置されています。ほとんどは度重なる戦いによって、眼球として嵌めこまれていた宝石や頭部の装飾用の金細工などが持ち去られています。
 




ワット・ホーパケオ(博物館)

 このお寺(博物館)はワット・シーサケート のすぐ近くに作られています。
 ラーンサーン王国のセーターティラート王がルアンパバーンからヴィエンチャンに遷都した時、エメラルド仏を祀るために1565年に建立した寺院です。1779年にシャム(現在のタイ)との戦いの時にエメラルド仏は持ち去られ、寺院も焼失してしまいました。
 現在の建物は1930年代フランスにより再建されたものです。
 タイのバンコクにあるエメラルド仏はこの寺院から持ち去られたものとの事です。
 寺院の本堂は博物館になっていてラオス各地から集められた仏像など仏教美術を展示した博物館となっています。




石壺

 ビエンチャンとルアンパバーンのほぼ中間地にあるジャール平原にこのような石壺がたくさん発見されています。(世界遺産)
 何のために作られたかは今だ謎だそうですが、石壺の表面に人体の骨の破片が発見されており、石棺だったとも言われています。
 


ワット・シームアン
 ビエンチャンでは参拝者が最も多いお寺として知られています。入場料が無料というのも有り難いところです。
 恋愛が成就するお寺とも言われ、女性に人気があるそうです。

 



写真プリント

 エプソンのプリンターを使って撮った写真をすぐに印刷し、観光客に売っていました。さすが日本製ですね。かなり頑丈に出来ているようです。
  
 
 ラオスは西欧人に大変な人気だそうです。彼らの習慣でしょうか、マスクは誰も付けていません。



アヌサーワリー・パトゥーサイ

 1962年から、内戦の終結とパテート・ラーオの勝利を記念して建造が開始されましたが、資金難により工事が中断しており、完成させる計画はないそうです。
 「アヌサーワリー」は「記念碑」、「パトゥーサイ」は「勝利の門」を意味しています。
、パリのエトワール凱旋門を参考にしてにして建設を行ったと言われていますが、門の上に仏塔が作られています。
 登るためのチケットを買って登ってみました。
 数階登ったところに売店がありました。


首相官邸

 この付近は日本の霞が関官庁街と同じだそうです。




写真印刷
 ここでもエプソンのプリンターを使用して写真を売っています。




昼食
 ビールは大瓶で約200円です。ご飯は一般にもち米で赤飯が多いようです。




タート ルアン

 16世紀、ラーンサーン王国のセーターティラート王の治世時に、13世紀初頭に建てられたクメール様式仏塔の廃墟を修復、改築したものだと伝えられています。
 紀元前3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王が派遣した仏僧によって建立されたインド寺院が基になっているとも言われていますが、真偽は分かっていないそうです。 
 塔内にはブッダの遺物が残っているとも言われています。
 タート・ルアンは19世紀にタイの侵略を受け破壊されましたが、その後再建されています。その塔の構造や意匠にはラオスの文化やアイデンティティが各所に見られ、ラオスの国民主義のシンボルともなっています。
 現在、タート・ルアンの敷地内には入れますが、内部には入ることが出来ず、観光客は周辺から外観を眺めるのみとなっています。
 右の航空写真の左上の建物は国会議事堂です。



雀売り子

 小さな籠に雀を数匹入れて売っています。買った人は持って帰るのではなく、籠の蓋を開けて、雀を逃がしてあげるようです。
 


ワット タートルアン ヌア

 タート・ルアンの北に位置しています。
 ここはラオス仏教界最高位の僧がいる場所で「ラオス仏教総主教宮」となります。毎年11月に、タートルアン祭りがおこなわれますが、ラオス全土から多くの僧侶が訪れます。
 1828年にシャム(現タイ)の侵攻により壊されましたが、1936年に改修が終わっています。
 今回は寺院の前を通っただけでした。



セーターティラート王の像

 寺院を改築したセーターティラート王は、ビルマ(現ミャンマー)が侵攻してきた際に捕らわれ、殺されることで不遇の最後となりますが、この座像はどことなく微笑んでいるようにも見えます。


 塔の周りに作られて塀の門から中に入ります。


チャオ・アヌウォン公園
 市民の憩いの場所としてタイとの国境であるメコン川の堤防の内側に作られた公園です。
 堤防の上にはラオスのビエンチャン王国の最後の王(在位 1805年 - 1828年)の像が作られています。




 道路の向こうにはメコン川が流れています。ただしよく見えませんでした。


ビエンチャンからルアンパバーンへ

 ビエンチャンの観光後、空港に向かい、プロペラ機でルアンパバーンに向かいます。

 17:00 ビエンチャン発
 17:50 ルアンパバーン着 所要時間 50分



ルアンパバーン市内で食事

 急にキャンセル人が1組いたためでしょうか、料理は何時もたくさん残すことになりました。


ルアンパバーン・ビュー・ホテル

 ルアンババーンは小さな町で、ホテルは小高い丘の上に作られていました。
 空港からわずか7㎞で、世界遺産の町はその中間にあります。 



 丘の上にあるホテルで、いくつもの小さな建物に分かれています。


 窓からの眺め

 ほぼ真っ暗でしたが、露出を上げて写真を撮ってみました。



ホテルの配置図

 丘の頂上にあるホテルで、ロビーを入ると階段でレストラン、プールと上がってゆき、プールが一番頂上にあります。
 私たちの部屋は左の図の下の方にある301号室でした。かなり坂を下ります。


ルアンババーン市街地

 左の地図は世界遺産に登録されているルアンババーン市街で、見学した場所を赤丸で示しました。
 市街地はメコン川とナム・カーン川の合流する地点にあり、それらの川によって作られた盆地の小さな町で、長さ約2㎞、幅はわずか300m程度です。
 気候は熱帯モンスーン気候で、雨季(5月から10月)と乾季(11月から4月)があります。
 年間平均気温は25度程度、年間降水量は1300mm程度です。
 ルアンパバーンの町には3万人程度が生活しており、その大半が農業で生計を立てています。
 主要な農産物は陸稲で、東のベトナム、北の中国との交流活動も盛んに行われています。
 民族的にはラオ族が中心を占めていますが、いくつもの少数民族が住み、なかにはそれぞれ系統の違った言語を持っていますが、共通語としてはラオス語が用いられています。



3日目 ルアンパバーン 市内観光 (市内全体が世界遺産)
 托鉢を体験するため、午前5時、ロビーに集合です。



托鉢見学

 朝の5時半ごろからお坊さんの托鉢が開始されます。まだ、真っ暗です。
 ガイドさんが私たちにもち米の入った鉢を配ってくれました。初体験です。
 お坊さんたちは持ち帰った食べ物を担当者に渡し、全員に平等に分けるそうです。




ワット・セーン (Wat Sensoukharam)

 ワット・セーン(Wat Sene)の愛称で親しまれ、ルアンパバーンにある数多くの寺院の中でも最も美しい寺院の一つとして人気があるそうです。 
 1700年代のルアンパバーンは激動の時代で、今までの統一王国だったラーンサーンからルアンパバーン王国とビエンチャン王国に二つに分裂してしまいます。
 この寺院が建立されたのは1714年でキッサラート王の治世時代です。その後、1930年代には寺院が大規模に改修され、現在の姿になりました。
 ちなみにこの立像と建物も1957年、ブッダの生誕2500年のタイミングで大規模に修復が施されました。


メコン川と朝市

 朝市に行くとき、メコン川の近くを通りました。その時の風景を写真に収めました。


朝市

 朝市と夜市の場所は一路違っています。
 約30分、見学しその後ホテルに戻りました。

 


朝食

 ホテルに戻り朝食です。
 その後、階段を登りホテルの頂上にあるプールの脇を通り、自分の部屋に戻りました。



クアンシ―の滝
 この滝はホテルの約30㎞下流にあります。そこまでライトバンに乗り約40分です。




滝散策
 約1時間かけて滝の見学です。本当に美しく特徴のある滝でした。
 途中、熊小屋がありました。



熊小屋



滝見学
 




水浴



 魚もいました。

 



ドローンによる撮影

 橋の近くでドローンを飛ばし、希望者には上空から写真を撮っていました。撮った写真はエプソンのプリンターで印刷していました。


 私たちはここで折り返しました。




駐車場
 この地のフォーマルな衣装だそうです。


昼食

 ルアンパバーン市街に戻り昼食です。フランス風の独特な街並みです。




ワット・マイ・スワンナプーム・アーハーム(ワット・マイ)

 ワット・マイ・スワンナプーム・アーハームとは「美しい黄金の新しい寺院」という意味だそうです。小さな僧房がたくさん建てられています。
 本堂には黄金レリーフがあり、その装飾を含め建物はかなり豪華です。
 本堂の奥には、大きな仏像を中心にたくさんの仏像が安置されています。
 



パバーン仏堂
 パバーン仏を安置するため、1963年に建築が始まりましたが、その後の内戦や革命、革命政府の仏教弾圧などで中断し、ようやく1993年に工事が再開され最近完成しています。



国立博物館(ロイヤルパレス)

 中には入りませんでした。




ロイヤルバレー劇場前のシーサワンウォン王の銅像

 1904年フランスの保護国であったルアンパバーン王国の国王に即位しています。
 1945年、日本軍がフランス軍を駆逐したためフランスの保護国ではなく独立国であることを宣言しています。
 1949年 ラオス王国を建国し立憲君主としてその初代国王となっています。
 1959年に崩御しましたが、その子サワーンワッタナーが国王になっています。



 今夜、夕日を見るために登るプーシーの丘です。最初、山の上にお寺がありどのようにして行くのだろうかと思っていましたが、そこまで歩いて登るのだと聞きびっくりです。
 山の高さは150mで、東京タワーの展望台と同じ高さです。はたして登れるのかどうか気になりました。なお、ルアンババーン市街は海抜600mです。



ホテルで休息:昼寝

 私たちの部屋は右側の301号室です。



ナイトマーケット
 ナイトマーケットの入り口近くからプーシーの丘に登ります。
 
 丘に登る前の町の風景です。
 丘から戻った時の風景です。この後、ナイトマーケット見学します。


プーシーの丘へ


時間打ち合わせ

 とりあえず、ここにまた1時間後に集合しましょうということになりました。
 人により違いますが、上りに約20分強、下りに約10分強として、夕日見学は20分強とのことでした。




登山開始



 頂上は既に人で一杯でした。しかし塔を一回りすると結構空いているところがあり、そこに陣取り日が沈むのを眺めていました。

 どうやらまだ明るいうちに戻ってこられました。
パバーン仏堂


 昼食後、この仏堂の正面(写真の左側)だけを見ていましたが、側面は全く違うお寺のように見えます。




ナイトマーケット

 約1時間15分ほどの見学です。
 屋台の長さは200m以上もあります。あまりにも長いので途中で折り返しました。



 ちょうど満月でした。記憶に残る夜市でした。




夕食

 ラオスでのご飯は約85%がもち米です。今夜も赤飯でした。




4日目 メコン川クルーズとルアンパバーン市内観光後ハノイへ


 レストランからの眺めです。


メコン川クルーズ

 私たち7人で1隻の船を借り切ってのクルーズです。船の出発は午前9時45分ごろでした。



バーンサイハイ 

 ラオスのお酒、ラオラーオを作っている村です。試飲が出来るので飲んでみました。結構美味しいお酒でした。ラオウイスキーとも言うようです。
 米で作った普通のお酒を火で温め蒸発させ、それを水で冷やして液体にし、それを集めていました。
 その他、観光客を集めるためでしょうか、このむらには不釣り合いな立派なお寺が作られており、そこへ行く道の両側にはたくさんの土産屋さんが並んでいました。



 私たちが見学している間、船長は野草を摘んでいました。




パークウー洞窟

 今回のナイル川クルーズの最終点で出発点から約25kmの上流にあります。
 内部には住民らが運び込んだ大小、新旧さまざまの約4000体の仏像が複雑な洞内に所狭しと置かれています。日本の「五百羅漢」的な雰囲気です。
 歴史的・文化的価値のあるものばかりとはいえず、来場者の多くが観光客であることも手伝い、神聖な場所でありながら観光的な雰囲気も漂わせている。



昼食
 対岸にレストランがあり、そこで昼食です。

 先ほど見学したパークウー洞窟が対岸に見えます。



昼食


 昼食後ルアンババーン旧市街に戻ります。約40分の乗船ですが、途中、ビールで眠くなったのでベットで昼休みです。




ワット・シェントーン
 ワット・シェントーンは、1560年、セータティラート王により、メコン河とナムカーン川の合流点に住む2つの蛇神をまつるため建立されました。
 このお寺はラオスに数あるお寺の中でも最も美しいと言われています。
 本堂は北ラオスの古典的な建築様式の代表であり、高い三角屋根が緩やかなカーブを描きながら地面近くまで続いています。



御車堂

 境内には1962年に建てられた黄金色の堂があり、シーサワーンウォング王(在位1904-1954年)の遺体をのせた葬儀用の御車が納められています。御車の先頭には高名な彫刻家ティタンの手によって竜の彫刻が施されています。
 



 見学後、旧市街を通りながら駐車場まで歩き、その後、空港に向かいました。




ルアンパバーンからベトナム・ハノイへ
 
 19:15 ルアンパバーン発
 20:15 ハノイ着 所要時間 1時間
 00:20 ハノイ発
 07:00 成田着  所要時間 4時間40分




ルアンバパパバーン国際空港

 比較的小さな空港です。


ルアンバパパバーンからハノイへ

 所要時間はわずか1時間です。



 ハノイで飛行機を乗り換えます。
 ほとんどの時間をラウンジで過ごしました。




5日目 ハノイから成田へ

 飛行時間はわずか4時間40分でした。


 成田到着2時間前、朝食が出てきました。また、朝なのにビールを飲んでしまいました。

 
 長崎県五島列島の上です。
 成田まではあと1時間半です。
 夜が明けてきました。



 成田に到着後、マイカーで自宅に戻りました。成田に到着時、コロナ問題で何か特別な赤外線による体温検査などがあるのかなとも思っていましたが、普段の空港の様子と全く変わっていませんでした。
 出発時の2月5日の日本における新型コロナ感染者数は23名、死者はゼロで帰国した日の2月9日の感染者数は26名で3名増加していました。死者はゼロした。なお、ちょうどこの頃、2月4日から2月11日までさっぽろ雪まつりが行われ、武漢を含めた中国各地からもたくさんの観光客が訪れていました。しかし海外からの観光客数が昨年より少なく、海外旅行者を見込んでいたホテルや土産屋などの売り上げが減りそれがニュースになっていました。
 その後、毎日のようにコロナウィルスがトップニュースでしたが、しばらくして株の大暴落、原油の大暴落、ヨーロッパでのコロナウィルス大流行、国境封鎖など、私の人生でも経験のない異常事態に世界全体が陥りました。7月開催の東京オリンピックがどうなるかも今のところ全く不明です。






次の旅日記に移る(海外編)

旅日記の表紙に戻る